16世紀のドイツ語を読むために「初期新高ドイツ語小辞典」を購入した

有機化学の研究者だったとき、特に大学ではドイツ語文献を読むことが多く、古いものでは1870年代のものもあった。
綴りが現代と異なる単語や、現在は使わない薬品などもあったが、文法で困ることはなく、内容を把握することができていた。
その後、翻訳で仕事をするようになっても、20世紀以降のドイツ語だけを読んできた。

プロテスタント教会に通うようになって、洗礼を受ける準備を始めたとき、16世紀に書かれた「ハイデルベルク信仰問答」を使って勉強することになった。

実際には和訳を使用するのだが、教会の会員の中には、私が16世紀のドイツ語を自在に読めると信じている人もいる。
ドイツ人でさえ、現代ドイツ語に書き直したものを読んでいるのに、どうして日本人が、16世紀のドイツ語を読まねばらないのだろうか。

そうは言っても、会員から質問があれば、できるだけ調べて回答できるようにしておきたい。
実際に、和訳が正しいのかどうかという質問が、これまでにもあったからだ。

ということで、最近発売された、「初期新高ドイツ語小辞典」(工藤康弘 著、大学書林)を購入した。
www.daigakusyorin.co.jp/book/b360523.html

初期新高ドイツ語は、1350年から1650年とのことなので、ルター聖書もハイデルベルク信仰問答も含まれる年代だ。
小学館の独和大辞典では、古語として掲載されている場合もあるが、それでも載っていない場合があるため、今回の初期新高ドイツ語小辞典を利用することになる。

例えば、ハイデルベルク信仰問答の問1の答では、現代ドイツ語版と16世紀ドイツ語版の両方がある。
www.heidelberger-katechismus.net/8001-0-227-50.html

その中から、形容詞【eigen (人2/人3)所属した】 が使われている部分について引用しておこう。

旧(綴りは現代ドイツ語に準拠):
Dass ich mit Leib und Seele,
beides, im Leben und im Sterben,
nicht mein, sondern meines getreuen
Heilands Jesu Christi2 eigen bin,

わたしがわたし自身のものではなく、
 体も魂も、生きるにも死ぬにも、
 わたしの真実な救い主
 イエス・キリストのものであることです。
(吉田隆 訳、ハイデルベルク信仰問答第2版、新教出版社)

新:
Dass ich mit Leib und Seele
im Leben und im Sterben nicht mir,
sondern meinem getreuen Heiland
Jesus Christus3 gehöre.


現代ドイツ語では、自動詞 【gehören (人3の)所有物である,(人3の)ものである】 になっている。

16世紀ドイツ語の翻訳が依頼されることはないと思うが、時間のあるときに、他の個所も読んでみよう。

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【聖書でドイツ語】 2格名詞句+sein (…は~だ)

今回も2格名詞の用法を取り上げよう。
2格名詞句には sein と結びついて、「…は~だ」という表現がある。

日常的に使われるものでも、成句的な表現であったり、文語のことが多い。
例えば、次のような例がある。

Ich bin anderer Meinung2. 私は違う意見だ。
Sie war guter Laune2. 彼女は上機嫌だった。


新約聖書からローマの信徒への手紙第12章14~16節を引用しよう。
「キリスト教的生活の規範」の一部で、取り上げた表現は16節に出てくる命令形である。

ローマの信徒への手紙第12章14~16節
14 Segnet, die euch verfolgen; segnet, und verflucht sie nicht.
15 Freut euch mit den Fröhlichen, weint mit den Weinenden.
16 Seid eines Sinnes untereinander. Trachtet nicht nach hohen Dingen, sondern haltet euch zu den niedrigen.


新共同訳:
14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と一緒に泣きなさい。
16 互いに思いを一つに、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。


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【聖書でドイツ語】 目的・理由・原因を表す um 2格名詞 willen (~のために、~のゆえに)

(最終チェック・修正日 2018年06月23日)

4格支配の前置詞 um の用法には、目的・理由・原因を示すものがある。
ただし、um 2格名詞 willen (~のために、~のゆえに)という、willen と共に2格名詞を挟む表現方法があり、2格支配前置詞の項目に掲載されることがある。

um は、Willen という本来は4格単数名詞を支配し、その Willen の前に2格付加語を置いたもの、つまり「~の意思により」から派生した。

また、名詞の前後を挟んでいるので、um .. willen を、「周置詞」と呼ぶこともあるそうだ。

論文や硬いニュース記事で見ることがあるが、他の表現で代替できるので、自分でドイツ語を書くときに
私は使ったことは一度もない。

目的を示す例文として、Duden の説明で、見出し語の長い複合語を読みやすくするためにハイフンを使っていることの説明を引用しよう。
www.duden.de/sprachwissen/newsletter/Duden-Newsletter-010713
Das längste Stichwort im neuen Rechtschreibduden ist beispielsweise die Kraftfahrzeug-Haftpflichtversicherung mit 36 Buchstaben, um der besseren Lesbarkeit willen mit Bindestrich geschrieben.
…より読みやすくするために…

原因を示す表現として、イエス・キリストに関する預言と言われている、旧約聖書のイザヤ書第
53章4~5節を引用しよう。
今回取り上げた表現 um .. willen は、5節に2回出てくる。

イザヤ書第53章4~5節 (Luther 2017)
4 Fürwahr, er trug unsre Krankheit und lud auf sich unsre Schmerzen. Wir aber hielten ihn für den, der geplagt und von Gott geschlagen und gemartert wäre.
5 Aber er ist um unsrer Missetat willen verwundert und um unsrer Sünde willen zerschlagen. Die Strafe liegt auf ihm, auf dass wir Frieden hätten, und durch seine Wunden sind wir geheilt.


新共同訳
4 彼が担ったのはわたしたちの病
 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた
 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった
 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ
 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。


ルター訳よりもヘブル語原文と新共同訳に近いのは、Elberfelder訳であり、これも um .. willen が出てくるので引用しよう。
5 doch um unserer Übertretungen willen war er verwundet, um unserer Missetaten willen zerschlagen.


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【聖書でドイツ語】 2格名詞の用例: 2格付加語の前置

ドイツ語の名詞には4種類の格変化がある。
そのうち2格(属格)の重要な用法は、付加語として名詞を修飾することである。
一般的に付加語としての2格名詞は、被修飾語の後に置かれる。

しかし、被修飾語の前に置かれることもあり、文学作品の他に、聖書の詩編やバッハのコラールなどに見られる。

聖書の詩編から、2格付加語の用法を引用しよう。
なお、2格名詞は赤色太文字で示し、更にその右上に上付き数字「2」を示してある。
念のため、被修飾語は、青色にした。

一般的な語順の例:
EIN PSALM DAVIDS2 ダビデの
der Name des Gottes2 Jakobs ヤコブの神の御名 (詩編20編2節)

Das Gesetz des HERRN2 ist vollkommen und erquickt die Seele.
主の律法は完全で、魂を生き返らせ (詩編19編8節)

前置の例:
Der HERR ist meines Lebens2 Kraft;
主は私の命の、 (詩編27編1節)

今後、事例を追加する予定。

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【聖書でドイツ語】 洗礼 Taufe /洗礼を授ける taufen

キリスト教徒になるためには、「父と子と聖霊の名によって洗礼を受ける」ことが必要である。
洗礼を受けることによって、罪に支配された古い自分が死に、イエス・キリストのものとなった新しい自分に生まれ変わる。
受洗しても、聖人になるわけではないが、正しい道を歩こうと決意しただけでも、以前とは生き方が変わるものだ。

名詞の 「洗礼」 は、Taufe で女性名詞。

この名詞 Taufe を使って、「
洗礼を受ける授ける」 は、die 〔heilige〕 Taufe empfangen / spenden (heilge は省略可能)。

他動詞の 「洗礼を授ける」 は、jn. taufen で、洗礼を授ける対象者を4格にする。

洗礼を受ける」 は、sich4 taufen lassen という受動表現にする。

最初に、マルコによる福音書から、洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を授けている場面と、イエスの洗礼の場面を引用しよう。

マルコによる福音書第1章4~5節

4 so war Johannes in der Wüste, taufte und predigte die Taufe der Buße zur Vergebung der Sünden.
5 Und es ging zu ihm hinaus das ganze judäische Land und alle Leute von Jerusalem und ließen sich von ihm taufen im Jordan und bekannten ihre Sünden.

新共同訳: 4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとにきて、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた

マルコによる福音書第1章8~9節

8 Ich habe euch mit Wasser getauft; aber er wird euch mit dem Heiligen Geist taufen.
9 Und es begab sich zu der Zeit, dass Jesus aus Nazareth in Galiläa kam und ließ sich taufen von Johannes im Jordan.

8
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた


例文としてもう1つ、サウロ(パウロ)の 「目からうろこが落ちる」 のところを引用しておこう。

使徒言行録第9章18~19節

18 Und sogleich fiel es von seinen Augen wie Schuppen, und er wurde wieder sehend; und er stand auf, ließ sich taufen
19 und nahm Speise zu sich und stärkte sich.

18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け
19 食事をして元気を取り戻した。


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【聖書でドイツ語】敵を愛しなさい: Von der Feindeliebe

イスラエル建国70年の今年2018年は、パレスチナ難民の苦難70年でもある。
アメリカ合衆国大使館がエルサレムに移転することとなり、神が望まない争いが起きている。
聖書の言葉を、自分たちの都合で恣意的に解釈した罪人たちが、平和を破壊している。

隣人を自分のように愛しなさい。迫害する敵をも愛しなさい」とイエスは教えられたが、自分勝手な人間たちは、神の御心など無視して、自分の思いを実現することばかりしてしまう。

罪人である人間であっても、悔い改めて、イエスが示した道に従おうと努力することが、平和の実現のために大切だ。

そんな日に読む聖書の個所として、マタイによる福音書5章44~45節を引用しよう。

その少し前の43節から、更に48節までをまとめて、見出しとして Von der Feindeliebe (敵を愛することについて)、新共同訳では、「敵を愛しなさい」 と書かれている。

なお、今回紹介する個所も含めて、ルター訳聖書では、有名な聖句の部分を太字で印刷している。

マタイによる福音書5章44~45節
44 .. Liebt eure Feinde und bittet für die, die euch verfolgen, 45 auf dass ihr Kinder seid eures Vaters im Himmel. Denn er lässt seine Sonne aufgehen über Böse und Gute und lässt regnen über Gerechte und Ungerechte.

(新共同訳)
44 .. 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい
45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

44節に示されたイエスの命令、「敵を愛せ、迫害する者のために祈れ」 の目的とは、次の45節の auf dass 以下に示されている。

auf dass .. は、「…するために」。
古風な表現で、今日では単なる dass .. または damit .. で表現される。

実際に、前回の1984年改訂版では、現代ドイツ語に書き換えているため、damit を使って以下のようになっていた。
damit ihr Kinder seid eures Vaters im Himmel.

その前の1912年改訂版では auf daß になっている。
auf daß ihr Kinder seid eures Vater im Himmel;

以下に示したルター訳1545年改訂版と比較するとわかるように、2017年改訂版は、綴りは現代の正書法ではあるものの、ルターオリジナルに回帰している。
Auff das jr Kinder seid ewrs Vaters im Himel /

現代ドイツ語で、通常の語順は、auf dass ihr Kinder eures Vaters im Himmel seid になるが、オリジナルを尊重して、2格名詞句 eures Vaters im Himmel が枠外配置されている。

このような枠外配置は、特に長い語句があって動詞と目的語が離れすぎるときに、現代ドイツ語でもよく行われる。

また、後半の Sonne 「太陽」 が、die Sonne ではなく、「seine Sonne」 であることに注目したい。
自然界に存在する天体の太陽ではなく、「神が創造した太陽」 という意識なのだ。


それで、最初に戻って、「敵を愛するためには、どのように祈ればよいのか」 という問題を考えよう。
どうしても実践できず、罪人であることを思い知らされるだけかもしれないが、それも悔い改めにつながるのであれば、無駄ではない。
そして、実際に、どのように祈るのか、私は場合は、「悪人がサタンの支配から逃れることができるように神の導きを祈る」 ようにしている。
私の力で他人を変えることはできないので、神が働くように、執り成しの祈りをするのだ。

44節に出てくる動詞 bitten からも考えてみよう。

bitten bei jm. für jn. の構文であるが、ここで祈る相手は神であることは明白なので、bei Gott は省略している。
すると、「自分を迫害する者に神のご加護があるように祈る」 や、「自分を迫害する者が正しい道に戻るように神に執り成しの祈りをする」 と解釈できるだろう。

神学的な解釈については、専門書を参考にしてほしい。
ドイツ語から考えるというこのブログ記事の方針から、私見を示したに過ぎない。

ドイツ語の勉強をしながら、敵を愛せないことを悔い改めるなんて、苦難が増大するだけかもしれないが、これが私の独自性・個性なので、一生続けていこう。

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【聖書でドイツ語】イエスの昇天:gen Himmel auffahren

明日5月13日日曜日は、「主の昇天の主日」 である。

今年2018年のイースター、つまり主イエスの復活を祝う主日は、4月1日であった。
聖書の記述によれば、復活してから40日後に天に昇ったことになっているため、その40日後に一番近い日曜日に、主の昇天を祝う礼拝をする。

私の教会では、教会暦にあまりこだわらずに礼拝をするので、明日は主の昇天の個所を読むわけではない。

ただ、様々なキリスト教関係のサイトでは、「今日の聖句」で、ここ数日は昇天に関する個所を紹介している。
例えば、ドイツの福音派教会 EKD のサイトは次のリンク。
www.ekd.de/

今日5月12日にアクセスすると、ルカによる福音書24章51節を紹介していた。

以下に示す聖書個所は、ドイツ語がルター訳聖書2017年改訂版、日本語が新共同訳である。
(それぞれ原典から翻訳しているため、ドイツ語と日本語との内容は一致しないことに注意)

・ルカによる福音書24章51節

ドイツ語: Und es geschah, als er sie segnete, schied er von ihnen und fuhr auf gen Himmel.
      (そして次のことが起きた。イエスは彼らを祝福しながら離れて、天に昇られた。)

日本語: そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた

ギリシャ語原文では、受動態のため、日本語の「天に上げられた」の方が、原文に忠実な翻訳と言えるだろう。

ドイツ語で、動詞 「昇天する」 は、auffahren (不規則の分離動詞)である。

「天に向かって」 という前置詞句を加えて、ルター訳のように gen Himmel auffahren とすることもある。
また、動詞を fahren にして、gen Himmel fahren でも同じ意味だ。

ルター訳では、auffahren の過去形が分離した形で先に出て、fuhr auf gen Himmel となっているが、これはギリシャ語原文の語順のまま、つまり逐語訳のようになっている。

ルター訳聖書では、例えば、「~の人々は幸いである(Selig sei, ..)」は、ギリシャ語の表現をそのまま借用した翻訳となっているので、ここでもギリシャ語のまま借用したと言えるだろう。

これは、イエスが天に上ってゆく様子を動的に表現しているとも言えるかもしれない。
イエスの体が次第に上昇して、そして天に向かってどんどん昇っていき、最後には見えなくなった、という映画のシーンが思い出される。

また、名詞 「昇天」 は、Auffahrt または Himmelfahrt で、いずれも女性名詞。

他の個所での記載も比較のために記しておこう。

・マルコによる福音書16章19節
Nachdem der Herr Jesus mit ihnen geredet hatte, wurde er aufgehoben gen Himmel und setzte sich zur Rechten Gottes.

主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。

・使徒言行録1章9-10節
9Und als er das gesagt hatte, wurde er vor ihren Augen emporgehoben, und eine Wolke nahm ihn auf, weg vor ihren Augen.
10Und als sie ihm nachsahen, wie er gen Himmel fuhr, ..

9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。…

auf|heben* 他 (h) 上方に持ち上げる
empor|heben* 他 (h) 持ち上げる

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ルター訳聖書で動詞の命令形が2人称複数であることを確認

2015年10月に刊行された、ルター訳聖書の改訂版は、元のヘブル語とギリシャ語の最新の研究結果を反映したということだ。
そのため、以前とは使用する単語が変わった部分がある。

例えば、以前の記事でも紹介したように、マタイによる福音書第8章24節 「そのとき、湖に激しいが起こり、舟は波にのまれそうになった。」(新共同訳) では、「嵐(Sturm)」の部分がギリシャ語では seismos であり、改訂版では 「震動/地震(Beben)」 に変更された。

また、パウロの手紙に出てくる呼びかけの 「adelphoi (兄弟たち、engl.: brothers)」 は、当時の教会では男女の区別なく使われていたため、今回の改訂版では、「Brüder und Schwerstern」 になっている。

2018年12月刊行予定の聖書協会共同訳では、「きょうだいたち」 と、ひらがな書きにして、男女両方を含めた表現にするそうだ。

ということで、日本語訳での問題点として、例えば、名詞が単数なのか複数なのか、動詞が過去形なのか現在完了形なのか、へブル語とギリシャ語では読めない場合でも、ドイツ語聖書を介して確認することができる。

厳密には、原文を読まなければならないが、それは今後の課題ということで、今はドイツ語の知識を利用して聖書を読むことを優先している。

英語ではなくてドイツ語の聖書を使うのは、例えば、今回示すように、動詞の命令形が2人称単数なのか2人称複数なのかを確認したいからだ。

現代の英語では、2人称は単数も複数も you であり、文脈で判断するしかない。
そして、命令形での動詞は、原形と同形のため、同様に単数か複数か、文脈で判断するしかない。

それに対してドイツ語では、例えば、「飲む trinken」 の命令形は、2人称単数の du に対しては trink〔e〕 で、2人称複数の ihr に対しては trinkt と異なるので区別できる。

例えば、テサロニケの信徒への手紙I 第5章16節 「いつも喜んでいなさい。」 は、英語・欽定訳では、Rejoyce always, で、人称変化がなく、日本語でも英語でも、文脈で複数が対象だと考える。

ドイツ語では、Seid allezeit frölich,  と、2人称複数 ihr に対する命令形であることが確認できた。
ギリシャ語でも、2人称複数に対する命令形になっているそうだ。

このように、英語以外の言語も使える方が情報量が増えるので、英語一辺倒の意識を変えてほしいものだ。

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羽生選手に関するドイツ語記事を読むときも聖書の知識が必要

(最終チェック・修正日 2018年02月18日)

ドイツ語の表現には、ルターのドイツ語訳聖書から取られたものがある。

辞書の語義説明では、元になった聖書個所が明記されているし、解説した専門書もある。

実際にドイツメディアの記事を読んでいると、聖書の内容そのものを知っていた方が、理解しやすいこともある。

ローマ法王を選ぶコンクラーベのときには、イエスを知らないと3度言ったペトロについて新約聖書から引用して、どうして法王に完璧さを求めるのか、という記事があった。

ペンテコステの時期には、EUの分裂についての記事があり、ヨーロッパ精神という人間が作った概念ではまとまらない、言葉も国も違う人々をまとめるのは神の力のみとあった。

また、ノーベル物理学賞で青色発光ダイオードの研究が選ばれたときには、記事の見出しが 「こうして青い光があった」 と、創世記の表現を借りたものだった。

そして今日は、平昌オリンピックのフィギュアスケートで羽生選手が金メダルを獲得したという記事の中に、出エジプト記を知っていると理解できる表現があった。

Die Zeit の記事は次のリンクで、書き出しは以下の通り。
www.zeit.de/sport/2018-02/yuzuru-hanyu-eiskunstlaufen-winnie-pu-japan/komplettansicht

Da fielen sie wieder vom Himmel, wie Manna, das in der Bibel die Israeliten nährte. Nur hatte sich die Sache dieses Mal nicht der liebe Gott ausgedacht, sondern die Kuscheltierindustrie.


そこにそれは、聖書ではイスラエルの民を養ったマナのように、再び天から落ちてきた。ただし、この出来事を今回生み出したのは愛する神ではなく、動物のぬいぐるみ業界だ。

モーセが率いてエジプトから脱出したイスラエルの民は、荒れ野で食べ物がなかったが、神がマナというものを毎日天から降らせて、飢えることがないようにしてくれた(出エジプト記16章)。

特許翻訳には出てこないことだが、教会でドイツ語を教えたり、ドイツ語学習者に聖書の話をするときに、このような記事を参考資料に使ってみよう。

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宗教改革記念日にルター聖書を読む

今日10月31日は、ハロウィンということで、都会の繁華街は騒ぎとなっているようだが、宗教改革記念日である。
ドイツ留学中、私が住んでいたヘッセン州では、残念ながら祝日ではなかったが、チューリンゲン州などでは祝日になっている。

私はプロテスタントであるが、ルター派ではないので、この日を特別に祝うということはない。
ただし、ルターの発した95ヶ条の提題などは、「聖書のみ・十字架のみ」の信仰を語るうえで、プロテスタントの特徴を表していると言えるだろう。
神の恵みは金では買えないのだし、人間の思いに囚われずに、神の御心を尋ね求める信仰生活に専念した方が幸せになるだろう。

ルターが、現代のドイツ人、カトリックにも、無神論者にも、ユダヤ人にも、そしてイスラム教徒にも影響していることを、ZEIT紙が記事にしている。
www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2017-10/reformationstag-martin-luther-feiertag-95-thesen

その中で今日は、翻訳を仕事にしているので、ドイツ語への影響について読んだ。
ルターがメランヒトンなど10名の仲間と協力して、ヘブル語の旧約聖書とギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳したことは有名である。

その後、何度か改訂されて、宗教改革500年記念事業として、2015年に最新の改訂版ができた。
ルターが犯した誤訳を訂正したり、最新の研究を反映して、訳語を見直した。

特に話題となったのは、マタイによる福音書第8章24節の 「Sturm (嵐)」 が 「Beben (地震・震動)」 に変わったことだ。
これは、ギリシャ語の seismos の意味をそのままドイツ語に訳すことにしたためだ。

ただし、他の個所では Erdbeben になっているが、ここだけ Beben である。
「地震」というよりは、弟子たちの信仰の「動揺」も表現するために、「Beben」になっているのだと思われる。

16世紀のルターのドイツ語とは変わってしまったものの、それでもドイツ語学習者にとっては、様々な慣用表現の由来となっているため、ルター聖書を参考文献として読むことも必要である。

例えば、「~を大切に思う」というドイツ語は、~ auf Händen tragen (両手に乗せて運ぶ) であり、これは詩編91編12節に由来する。

Luther 2017: dass sie
dich auf den Händen tragen
           und du deinen Fuß nicht an einen Stein stoßen.
新共同訳: 彼らは
あなたをその手にのせて運び
        足が石に当たらないように守る。

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テーマ : 宗教・信仰
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プロフィール

MarburgChemie

Author:MarburgChemie
製薬メーカー子会社の解散後、民間企業研究所で派遣社員として勤務していましたが、化学と語学の両方の能力を活かすために専業翻訳者となりました。

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