キリスト者はそれぞれ、好きな聖句をいくつか持っているものだ。
私の場合、箴言第4章がその1つで、特に11~12節は、私の葬儀で読んでほしい個所である。
新共同訳から引用して紹介しておこう。
箴言第4章
11 わたしはあなたに知恵の道を教え まっすぐな道にあなたを導いた。
12 歩いても、あなたの足取りはたじろがず 走っても、つまずくことはないであろう。
パワハラに遭ったり、失業したり、仕事が変わって収入が減ったり、弟に仕送りすることになったり、人生とは、いばらの道を進む困難なことばかりのように思えるが、神が備えてくださった正しい道を信じて歩むならば、必ず報われる。
私の性格なのか、聖書の中でも箴言が好きだ。
その通りの生活をしているわけではないが、信仰生活の規範として参考にしている。
昨日21日に読んだ箴言は、日々の聖句(Die Losungen)にあった箴言第16章8節(Sprüche 16,8)である。
今週大騒ぎになっている巨額報酬のニュースに関連させながら読んだ。
箴言第16章8節
Besser wenig mit Gerechtigkeit als viel Einkommen mit Unrecht.
(訳例:義によってわずかなものを得る方が、不正に得た多くの収穫にまさる。)
稼ぎが多くても正義に反するよりは 僅かなもので恵みの業をする方が幸い。
Gerechtigkeit 女性名詞 - / -en 1 ((単数で)) (gerecht なこと) 正義,公正,公平;正当〔性〕;[聖書] 義.
「正義」とは、社会倫理的意味のものではなく、神との正しい関係という神学的意味で用いられる。
「正義」というとき、人は自分の価値観・倫理観を尺度にして考えることが多い。
それでは他人を裁くことになってしまう。
ここでの「正義・義」とは、「神の目から見て正しいこと」であって、人間側の価値観や都合は無関係だ。
収入が多い方が生活は楽かもしれないが、仕事の充実度・やりがいの方が、お金よりも優先することがある。
仕事を通じて、社会に貢献していることが実感できるとき、神から与えられた地上での使命を果たしていると感じて、収入が少なくても、神に用いられているという恵みに感謝できる。
そして、正当に得た収入が多かったのであれば、寄付などを通じて社会に還元して、互いに助け合い、連帯する社会を作ることも、神が望んでいることかもしれない。
テーマ : 聖書・キリスト教
ジャンル : 学問・文化・芸術