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弟がやっと社会保険労務士試験に合格した

昨年2月、母からの仕送りに依存していた弟に、仕送りの最終期限を通告した。
それが要因なのかどうかは不明だが、今年の社会保険労務士試験に合格した。

昨年は、1科目のみ合格基準に1点足りなかった。
今年ダメなら説得して、市役所の就労支援で相談させて、物流関係や農業の仕事を探すようにと、突き放すつもりだった。

試験に合格しても、社会保険労務士として登録するためには、2年間の実務経験が必要だ。

しかし、就職氷河期に大学を卒業した弟は、単純労働のアルバイトの経験しかないため、どこかの事務所に就職したり、民間企業の総務で採用されることもないだろう。

年金相談などをしているNPOもあるが、職員を募集しているかどうかは、問い合わせてみないとわからない。
諦めずに探し続けてもらわないと、社会保険労務士なのに生活保護申請になってしまう。

ということで、75,600円を払って、指定講習を受講させることにした。
弟は金がないとのことで、本日7万円を振り込み、その他の事項も含めた手紙を速達で送った。

これで安心ということではないが、少しは前進したのかもしれない。
私が来年、教会の役員に選出されたら、弟の面倒をみる暇はなくなるだろうから、少しは楽になったと思うことにしよう。

テーマ : 資格試験
ジャンル : 就職・お仕事

映画 「パウロ 愛と赦しの物語」を観た

今年のイースター前後に話題となっていた、キリスト教関連の映画である 「パウロ 愛と赦しの物語」 を観た。
paul-love-movie.tumblr.com/

11月3日の初日は、町内会の用事があったので断念し、その後も別の用事があって、なかなか予約できなかった。
今日は、ハイキングにするか、それとも映画を観るのか迷ったが、教会で話題にするためにもパウロの映画にした。

聖書の話をそのまま再現したというよりは、ローマ帝国によって迫害されているキリスト者たちの葛藤を描き、その困難な状況の中で神を信じられるのか、現代社会にも通じる永遠のテーマを提示していると言える。

皇帝ネロの時代にローマ大火があり、キリスト教徒が犯人とされ、パウロは首謀者として逮捕されたとされている。
獄中のパウロをルカが訪ねて、パウロによって福音がどのように広まったのかを書き記すことになる。
その書物が使徒言行録にまとめられるわけだが、この映画のメインテーマとしては、「愛」に重点が置かれている。

迫害されているキリスト者の中には、ローマに対して復讐を望む者も出てくるが、パウロ以外にもアキラやプリスカなどが、暴力に訴えてはならないと説得する。

しかし、神に祈ったとしても、迫害が終わることはなく、平和な街に戻るのかどうか、将来のことは神から何も示されない。
そのような困難の中で、敵である看守の娘を病から救うために、キリスト者たちは薬などの必要な物を分け与えた。

敵を愛し、迫害する者のために祝福を祈るという、イエス・キリストの教えを実践することを通して、福音が徐々に伝えられることになる。

この隣人愛の実践は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相を見れば、いかに困難なことかがわかるだろう。
そもそも、隣人愛の実践などできないと、その罪を告白する方がキリスト者らしい態度である。
それでも、神の命令に従って祈りながら努力するのが、信仰生活なのかもしれない。

DVDが発売されてから、教会で希望者に回覧するか、個人的な上映会を行って、隣人愛について語り合う機会を持ちたいものだ。

テーマ : ☆最近観た映画☆
ジャンル : 映画

【聖書でドイツ語】 箴言第16章8節 「稼ぎが多くても正義に反するよりは…」

キリスト者はそれぞれ、好きな聖句をいくつか持っているものだ。
私の場合、箴言第4章がその1つで、特に11~12節は、
私の葬儀で読んでほしい個所である。
新共同訳から引用して紹介しておこう。

箴言第4章
11 わたしはあなたに知恵の道を教え まっすぐな道にあなたを導いた。
12 歩いても、あなたの足取りはたじろがず 走っても、つまずくことはないであろう。


パワハラに遭ったり、失業したり、仕事が変わって収入が減ったり、弟に仕送りすることになったり、人生とは、いばらの道を進む困難なことばかりのように思えるが、神が備えてくださった正しい道を信じて歩むならば、必ず報われる。

私の性格なのか、聖書の中でも箴言が好きだ。
その通りの生活をしているわけではないが、信仰生活の規範として参考にしている。

昨日21日に読んだ箴言は、日々の聖句(Die Losungen)にあった箴言第16章8節(Sprüche 16,8)である。
今週大騒ぎになっている巨額報酬のニュースに関連させながら読んだ。

箴言第16章8節
Besser wenig mit Gerechtigkeit als viel Einkommen mit Unrecht.
(訳例:義によってわずかなものを得る方が、不正に得た多くの収穫にまさる。)

稼ぎが多くても正義に反するよりは 僅かなもので恵みの業をする方が幸い。


Gerechtigkeit 女性名詞 - / -en 1 ((単数で)) (gerecht なこと) 正義,公正,公平;正当〔性〕;[聖書] 義.
「正義」とは、社会倫理的意味のものではなく、神との正しい関係という神学的意味で用いられる。

「正義」というとき、人は自分の価値観・倫理観を尺度にして考えることが多い。
それでは他人を裁くことになってしまう。
ここでの「正義・義」とは、「神の目から見て正しいこと」であって、人間側の価値観や都合は無関係だ。

収入が多い方が生活は楽かもしれないが、仕事の充実度・やりがいの方が、お金よりも優先することがある。

仕事を通じて、社会に貢献していることが実感できるとき、神から与えられた地上での使命を果たしていると感じて、収入が少なくても、神に用いられているという恵みに感謝できる。

そして、正当に得た収入が多かったのであれば、寄付などを通じて社会に還元して、互いに助け合い、連帯する社会を作ることも、神が望んでいることかもしれない。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

「聖書」の新訳である「聖書協会共同訳」が12月に刊行される

(最終チェック・修正日 2018年11月21日)

ヨーロッパでキリスト教の勢力は減少しているが、それでも聖書の知識が、翻訳には必要になることがある。
有名な聖句が、慣用句として使われることもあるからだ。

聖書は様々な言語に翻訳されていて、日本語聖書として、私の教会では新共同訳を使用している。
聖書の研究と共に、古代のヘブル語やギリシャ語の研究も進んでおり、最新の成果を盛り込んだ新しい翻訳も求められている。

ドイツでは、ルターの宗教改革500年を記念して、ルター派神学者が中心となって2015年に改訂版が刊行された。
ルターが犯した誤訳を修正したり、ルターのオリジナルの表現に戻したり、またその逆に現代人に理解しやすい表現に変えたり。

同時期に、日本語聖書の翻訳を見直していることも報じられており、2017年に新日本聖書刊行会が「新改訳」を刊行した。
そして来月12月上旬には、日本聖書協会が「聖書協会共同訳」を刊行する。
私の教会では、まだ新翻訳を使う予定はないのだが、今使っている新共同訳の後継である、聖書協会共同訳を購入する予定だ。

この聖書協会共同訳は、本日届いた「通訳翻訳ジャーナル」2019冬号の PICK UP TOPICS の最初で紹介されている。
【現代を生きる私たちに、そして次世代へも神の言葉を伝えるべく新たに翻訳された聖書。通訳者、翻訳者は向学のためにぜひ目を通したい一冊である。】

訳語として、注釈がないとわからないような、いわゆる聖書用語が、平易な日本語になっていることも特徴だ。
「嗣業」という言葉を聞いても、最初の頃は何のことかわからなかったが、「相続地」であれば、教会に初めて来た人にもわかるのではないだろうか。

紀伊国屋書店 BookWeb ではまだ登録されていないため、12月まで待ってから初版割引価格で購入したい。
教文館やバイブルハウス南青山では注文を受け付けているが、紀伊国屋ポイントとauポイントが欲しいので、ぎりぎりまで待つことにする。

へブル語とギリシャ語の勉強をする時間がほとんどないため、現在は逐語訳聖書を参照しており、ルター訳も含めたドイツ語聖書2種類と新共同訳を使って比較しながら学んでいる。
ここで紹介しているように、元は同じなのに、翻訳によって印象が変わることがあるので、今後は聖書協会共同訳も含めて並べて比較したいものだ。

ただし、キリスト者として聖書は霊的に読みたいので、語学の参考文献という扱いにはならないように注意したい。
様々な資料にあたるときも、和訳で表現しきれなかった原語のニュアンスを確認した後は、神からのメッセージとして受けとめ直す作業を心掛けたいものだ。

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テーマ : 聖書・キリスト教
ジャンル : 学問・文化・芸術

翻訳案件がクリスマスプレゼント?

教会ではいつも、キリスト教の伝道に励もう、と言っているのだが、職場の同僚や友人を招いたり、バザーを開催して近所の人たちと交流したり、クリスマス劇で観客を集めても、信徒が劇的に増えることはない。

今はネットの時代ということで、教会ホームページを魅力的なものへ改善しようとしているが、そのプロジェクトもなかなか進まない。
来年度4月に新ホームページに移行して、首都圏への転居者や大学進学者などの目にとまるようにしたいものだ。

仕事をしていると、手が空くのが日曜日のみで、伝道活動もなかなかできないわけだが、それでも現在の状況で可能な限りのことをしたいと考えている。
このブログで、「聖書でドイツ語」というコーナーを作ったのも、自分にできる伝道活動の1つとしてだ。
取り上げている聖書の言葉は断片的ではあるものの、それをきっかけにして、聖書を手にする人が増えることを願っている。

そのような地道な活動をしていたところ、今月は翻訳の仕事で、イエス・キリストの物語について和訳した。
予期していないことであったが、仕事でも伝道に関わることができるのではないかと感じた。

資金力のある団体は、街頭で聖書を配布したり、絵本も含めて様々な聖書の物語の冊子を作成して、各地で伝道に利用している。
日本でも配布しようということなのか、英語の冊子について和訳の仕事を受注することになった。

マリアの受胎告知から始まり、十字架上での死、そして復活まで、聖書の言葉を引用しながら、イエス・キリストの生涯をわかりやすく説明している。
そして信仰の重要な要素として、イエス様は私たちの罪を赦すために犠牲になられたことを強調している。
また、関連する旧約聖書の言葉を引用して、その預言が成就したことも説明してあり、伝道にふさわしい冊子だと思う。

既に洗礼を受けた信徒にとっても、イエス・キリストの恵みを再確認することにつながるので、この冊子を読むことを勧めたい。
その点でも、この翻訳の仕事が私に来たことは、クリスマスプレゼントだったのではないだろうか。
神から与えられた賜物を活かすことができたという喜びもまた、クリスマスの時期にふさわしいものだろう。

日本語の冊子が配布されても、手にした人が私の教会に来るとは限らないが、イエス・キリストの恵みが一人でも多くの人に伝えられるのであれば、そのことを喜びたい。

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【聖書でドイツ語】 Segen (祝福・恵み・豊富な収穫)

翻訳では、原文の意味を完全に反映しているのか、いつも問題となるし、これは永遠の課題かもしれない。

「翻訳学入門(Introducing Translation Studies)」、ジェレミー・マンデイ (Jeremy Munday) 著、鳥飼玖美子 監訳、みすず書房(2018年)では、英語聖書の翻訳も取り上げている。
77~79ページに、創世記の冒頭について、欽定訳聖書・新英訳聖書・新アメリカ訳聖書を比較した事例がある。

私の教会で使っている日本語訳聖書は新共同訳であるが、読みやすい日本語を目指したためなのか、原文の意味が消えてしまい、残念に思っている人たちも多い。

12日に読んだ今日の聖句で、コリントの信徒への手紙二第9章6節でも、そのような翻訳の問題が出てくる。
「eulogiais (祝福・天の恵み)」という言葉について、ルター訳ではギリシャ語に忠実に Segen と翻訳されているが、新共同訳では「豊か」と意訳している例だ。

Luther 2017: Wer da kärglich sät, der wird auch kärglich ernten; und wer da sät im Segen, der wird auch ernten im Segen.
(訳例:惜しんでわずかしか種を蒔かないものは、収穫もまたわずかとなり、祝福のうちに種を蒔く人は、収穫もまた祝福のうちに豊かである。)

新共同訳:惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。

Segen 男性名詞 -s / - 1 [宗教] 祝福〔のことば・祈り・身ぶり〕. 3 ((比)) (天の)恵み. 4 ((比)) 幸福,繁栄,成功;(豊富な)収穫.

よりギリシャ語原文に忠実と言われる Elberfelder では segensreich (祝福豊かに)を使っている。
ギリシャ語がわからないので、ドイツ語・英語・日本語の聖書を比較しながら読んだり、議解書や牧師の説教を参考にしたい。

今回の個所については、例えば、日本基督教団松本東教会の本城牧師(当時)の説教を参考にしたい(本城牧師の現在の任地は、日本基督教団中渋谷教会)。
matsumotohigashi.org/sermon/2Cor9-1-10-20171105.html

ここでは教会の活動を支える献金の話なのだが、一般社会では寄付金の話に置き換えてもよいだろう。
自分の生活に余裕がない場合もあるが、そのようなときにも、自分に与えられた祝福・恵みに感謝しながら、惜しむようなことなく献金・寄付金をする。
そうすれば、やがて自分にも、より多くの祝福・恵みがさらに与えられることになる。
つまり、互いに支えあう連帯する社会が形成されるのだ。
そのような社会になることを信じて、献金も寄付金も可能な限り続けていこう。

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【聖書でドイツ語】 テモテへの手紙2第3章14節 anvertrauen

私の教会で使っている日本語聖書は新共同訳である。
来月には新しい翻訳の聖書協会共同訳が発刊されるが、切替時期は決まっていない。
新しい聖書になる前に、新共同訳を全部読んでおくつもりだ。

聖書はどこから読んでもよく、最初から順番に読む必要はない。
それで、今日はどこを読もうか、と思ったときに便利なのが、Die Losungen という今日の聖句である。
旧約聖書の一節について、毎年くじ引きで決定し、それに対応する新約聖書の部分を加えている。
www.losungen.de/fileadmin/media-losungen/kalender/kalender.html (アクセスするとその日の聖句が表示される)

日本語版も出版されているが、私はドイツ語の勉強も兼ねているので、まずドイツ語で読んで、それから新共同訳を読んでいる。

そして今週8日に読んだ新約聖書の部分は、テモテへの手紙2第3章14節だ。
ここで anvertrauen という動詞に注目したい。
ドイツ語訳の比較として Luther 1912 と Elberfelder 2006 を並べておこう。

Luther 2017: Du aber bleibe bei dem, was du gelernt hast und was dir anvertraut ist;
Luther 1912: Du aber bleibe in dem, was du gelernt hast und dir vertrauet ist,
(訳例:しかしあなたは、あなたが学んだもの、そしてあなたに託されているものから離れないようにしなさい)
Elberfelder 2006: Du aber bleibe in dem, was du gelernt hast und wovon du überzeugt ist, 
新共同訳: だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。

元のギリシャ語に忠実に翻訳しているのは、Elberfelder と新共同訳である。
Luther では、vertrauen / anvertrauen が使われている。

vertrauen 他動詞 (h) ((雅語)) 1 (anvertrauen) ((jm. et.4)) (…に…を)ゆだねる,まかせる;(秘密などを)打ち明ける
an|vertrauen 他動詞 (h) 1 ((jm. et.4)) (…に…を)信頼して任せる,(…を…の手に)ゆだねる,委託する. 2 ((jm. et.4)) (…に秘密・決意などを)打ち明ける
überzeugt (überzeugen の過去分詞)形容詞 確信のある;信念を持った || von et.3 überzeugt sein …を確信している,…を信じて疑わない

翻訳会社で一緒に働くドイツ語ネイティブに聞くと、von ... überzeugt sein は、信じていることが個人的・主観的なもので、本人が信じていることが正しいかどうかは別問題というニュアンスがあるそうだ。

それに対して Luther が使った vertrauen / anvertrauen は、信用を得たので大切なことを託されたという、美しいイメージの動詞とのことだった。

この anvertrauen は、同じテモテへの手紙2で、第1章14節にも出てくる。
Dieses kostbare Gut, das dir anvertraut ist, bewahre durch den Heilige Geist, der in uns wohnt.
あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。
この部分では、Elberfelder でも anvertrauen になっている。

テモテは、幼いころから聖書(神の言葉)を学んでいて、それを信じているわけだから、ギリシャ語に忠実に「確信した(überzeugt)」と翻訳してもよいだろう。

しかしルターは、この手紙の書かれている内容から、神の言葉を宣べ伝えるために適格な働き手として選ばれたテモテを信じて託された、という解釈を込めて、vertrauen / anvertrauen を使ったのだろう。

私は牧師にはならないが、このようなドイツ語の勉強の過程を紹介することを通じて、一人でも多くの人に聖書の言葉が届くようにしたい。
そのとき、テモテへの手紙にあるように、キリスト者は迫害を受けるのだが、主イエス・キリストが守ってくれることを祈りながら耐えて続けたいものだ。

明日教会の図書室で講解書を読んでみよう。
また、時間があれば牧師に相談してみたい。

テーマ : 聖書・キリスト教
ジャンル : 学問・文化・芸術

アンゲラ・メルケル 「わたしの信仰:キリスト者として行動する」(新教出版)

先月下旬、2017年に出版されたアンゲラ・メルケル独首相の教会などでの講演を収めた本、"Daran glaube ich: Christliche Standpunkt" の和訳が刊行された。

大量の難民を受け入れるという人道的判断をしたメルケル首相の行動の基盤に、キリスト教の信仰があることが理解できる資料である。
出生前診断や安楽死などの生命倫理の問題について、聖書を引用しながら考えているということも、キリスト者にとって参考となる姿勢だ。

新教出版の紹介サイトは次のリンク。
www.shinkyo-pb.com/2018/08/24/post-1309.php

キリスト教メディアのクリスチャンプレスでの紹介記事は次のリンク。
www.christianpress.jp/daran-glaube-ich-christliche-standpunkte-angela-merkel/

また、ドイツ語原著の発行元の紹介サイトは次のリンク。
www.st-benno.de/shop/angela-merkel-daran-glaube-ich.html

ドイツ語原著はまだ購入していなかったので、アマゾンで注文しておいた。
今回発行された和訳は、紀伊國屋書店で注文して、本日午前中に自宅に届いた。

今日は教会で聖書研究会・祈祷会があったので、その移動中に電車内で4分の1ほど読んだ。
まず初めに、「V 難民危機とその結果」 から、「人々の連帯と開かれた社会とは矛盾しない」 を読んだ。

連帯ということでシリア難民の話があり、「ドイツは法治国家です。法治国家は助けを必要とする人に援助を提供します。… 現在のドイツは、多くの人たちが逃げてきたいと思う国になっています。ここには秩序があり、法と人間の尊厳が保証されています。」とあり、誰かに聞かせたい言葉だ。

また、国内の「異なる世代間の連帯」にも話が及び、そして最後に強調しているのは「宗教の授業の重要性」である。

「なぜなら宗教の授業では、良心の問題、心の教育が大切になるからです。宗教はわたしたち自身の人生に関わるだけでなく、それ以上に、…神の被造物としてのわたしたちの人生の大きな関連性を扱うからです。」

キリスト教徒の割合が減少しているドイツでは、宗教の授業を倫理に変えようとする動きもあるが、難民支援やボランティア活動など、外に開かれた社会における人々の連帯を強めるために、キリスト教の教育は役立つであろう。

そして最初に戻って読んでいたところ、「I 信仰と告白」 の 「わたしの人生の規範」 で引用された、ミカ書第6章第8節の聖句が印象に残った。
 その部分を新共同訳から引用しよう。

人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。


この部分は、「神を愛し、隣人を愛すること」 を別の表現で伝えているものだ。
このように明確に提示されているものの、不完全な罪深い私たちには、実践することは困難である。
それでも、その課題にチャレンジし、神から与えられた試練を忍耐して、その先に恵みや喜びがあると信じて行動したいものだ。


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テーマ : 聖書・キリスト教
ジャンル : 学問・文化・芸術

土地の相続問題が1年半かけてようやく進展した

昨年4月に母の兄が亡くなり、土地の相続で面倒なことが発覚した。
母の父、つまり私の祖父が約50年前に亡くなったときに、不動産の登記を変更していなかったことが判明した。
一番古い土地で、大正10年(1921年)に祖父名義で登記されているので、ほぼ100年間手続きしていなかった。
それで孫の私たちだけではなく、ひ孫の代まで、すべての相続人の意思確認が必要になったのだ。

親族はほとんど外に出て行って、それぞれの生活基盤が確立しているため、田舎の農地を相続したい人はいないという前提で、一時的に私の母の名義にしてから、市役所に相談することになった。

私も含めて相続放棄の書類に署名・捺印して手続きを進めていたが、別の伯父には離婚後に生まれた子供がいたことで、1年半もかかることになった。

70代になっているその人は、突然の連絡であったし、苦労が多かった生活が続いたこともあって、相続放棄についてすぐには納得してもらえなかった。

その後、親族がお墓を守っていることや、登記の名義人となる私の母は、砲丸投げの全国レベルの選手だったなど、その人が知らなかった親族のことを説明して、徐々にわだかまりを解消するように働きかけた。

そして1年半経過して、ようやく相続放棄申述書に署名・捺印してくれた。
この間に様々な費用が約33万円かかったが、私の母も含めて存命中に解決してよかった。

それでその土地だが、登記簿によると、以下のように複数の地番に分かれていた。
1.宅地  99.17 m2 大正10年 売買により移記
2.宅地 243.04 m2 大正10年 売買により移記
3.宅地 159.99 m2 昭和23年 自作農創設特別措置法第29条の規定による売渡
4.田  406 m2     昭和17年 売買により移記
5.田  294 m2     昭和17年 売買により移記
6.田  148 m2     昭和17年 売買により移記
7.畑  268 m2     大正10年 売買により移記(当初は 228 m2 であったがこれは錯誤)
8.原野   24 m2   昭和17年 売買により移記(当初は 3.30 m2 であったがこれは錯誤)

田と畑は、現在は荒地となり、木も生えているし、鹿などの野生動物がやってくるそうだ。
だから見た目では、原野と区別できない。

誰かに譲るとしても、地目が田畑のままなので、ここで農業をやってくれる人を見つけないといけない。
遠隔地なので面倒ということで、利用可能性の検討を市役所に頼んでいる。
母は市に寄贈すると言っているが、前例がないということに加えて、空き家の撤去も含めて市役所としても困るようだ。

その田舎は日照時間が長いということから、私が子供の頃、父方の祖父の家では屋根に太陽熱温水器を設置していたし、30年くらい前からは太陽光発電の適地として注目されていた。

実際に数年前から大規模な太陽光発電所がいくつか稼働しているので、そのような企業に格安で貸すか、売却してもよいのではないかと親戚は言っていた。
しかし、太陽光発電の場合、買取価格の見直しも行われる予定なので、私からは推奨できないことを伝えてある。

田舎に移住して農業をやりたい人もいるので、空き家を倉庫にしてもらって、自宅を新築する条件で、売却する方が現実的ではないかと思う。

翻訳業の私は、インターネットが使えればどこでもいいので、そこに移住して、農業をやりたい人たちと共同生活をしてもいいわけだ。
相続放棄をしたけれども、市役所を仲介して私が買い取るという選択肢もないわけではない。

まあ、弟に仕送りをしている間は、そんな資金はないので無理だが、田舎で昼間は翻訳し、夜は天体観測して、週末に農作業というのも悪くない生活ではないだろうか。

私は今はクリスチャンとなっているが、お寺では私が近くにいれば、お墓の管理もしてもらえるということで安心するかもしれないし。

(最終チェック・修正日 2017年07月19日)不動産の相続は、父の死後に経験した。このときは、父方の祖父母の相続で、父のきょうだいたちと揉めている最中であり、父名義の不動産だけではなく、祖父母名義の不動産をどうするかで大変だった。ドイツ留学から帰国後、父が残したメモなども含めて確認し、父の友人の司法書士などの協力も得て、約5年後に父のきょうだいたちと土地の分割について合意して、ようやく登記手続きができた...
母方の祖父の死後50年経ってからの土地の相続問題


テーマ : 不動産
ジャンル : ファイナンス

聖歌隊の活動が生きがいになりつつある

洗礼を受けて教会の会員になると、教会の様々な仕事や奉仕について、可能なものを分担することになる。
身近な例で言えば、町内会や商店街の役割分担のようなものだ。

私自身は、何をすればよいのかわからなかったので、頼まれた奉仕の中から、自分にできることに応じてきた。

洗礼後、聖歌隊に入ったため、クリスマスの劇や、夏の行事でバンドを組むときなど、音楽関係の行事の担当になった。
教会内だけではなく、地区の教会の合同聖歌隊として教会音楽祭に参加したり、東日本大震災追悼礼拝で歌ったこともある。
また個人的に、鎌倉駅前でのキャロリングに参加して、クリスマスの讃美歌を10曲ほど歌ったこともある。

他にも、イースターやクリスマス、バザーなどの行事を担当する委員会と、会報作成の委員会にも入り、臨時で蛍光灯交換からゴキブリ退治まで、できる範囲で行ってきた。

ただ、昨年はある会合の準備の時点で、会員同士の多分誤解に基づく行き違いにより板挟みとなり、精神的に疲れた。
他にも、いろいろな事情で教会に来なくなった同世代の人たちのことを考えて、悩むようにもなった。
私自身も、ある一言が原因で我慢の限界となり、もうすべての奉仕を辞めてやる、それで困る人がいてもどうでもよい、と思ったこともあった。

そのような精神状態で、仕事にまで影響することなく踏みとどまれたのは、今思えば、聖歌隊で歌っていたことではないだろうか。
仕事で疲れても、教会内の人間関係に疲れても、讃美歌の練習をしているときだけは、他のことを忘れて没頭できる。
賛美歌を歌うということそのものが、何か精神的に良い方向に作用しているようだ。

また、礼拝で年に6回ほど奉唱していて、礼拝が終わると数名の会員から感想が寄せられるのも、モチベーションの維持に役立っているようだ。

今日の礼拝では、途中で男声パートが主旋律を歌うアレンジをしていて、特に印象的な構成だっためか、今年で一番好評だった。
これまでも男声が主旋律を歌うアレンジを取り入れることもあったが、今日の讃美歌が一番きれいに聞こえたのだろう。

私はプロではないが、礼拝音楽の面から教会活動を支えることができるように、そして自分の精神状態の安定のためにも、これからもレベルアップに取り組んでいきたいものだ。

テーマ : 合唱
ジャンル : 音楽

プロフィール

MarburgChemie

Author:MarburgChemie
製薬メーカー子会社の解散後、民間企業研究所で派遣社員として勤務していましたが、化学と語学の両方の能力を活かすために専業翻訳者となりました。

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