「欠陥だらけの子ども」と言われて (サンドラ・シュルツ)
連休中の5月2日に届いた本は、【「欠陥だらけの子ども」と言われて 出生前診断と愛情の選択】(サンドラ・シュルツ著、山本知佳子訳、岩波書店)である。
岩波書店のリンクは次の通り。
www.iwanami.co.jp/book/b450151.html
ドイツ語原著のリンクは次の通り。
www.rowohlt.de/paperback/sandra-schulz-das-ganze-kind-hat-so-viele-fehler.html
ドイツ語和訳の勉強になるかもしれないので、原著をこれから注文する予定だ。
著者のドイツ人ジャーナリスト、サンドラ・シュルツは、38歳で待望の妊娠をする。
血液検査によってダウン症の疑いがみられ、羊水検査で確定した。
その後、超音波診断などで、心臓に重篤な疾患が見つかった。
生まれてからの大手術を乗り越えて、マルヤ(仮名)は今年3月に4歳になった。
この本を読もうと思ったのは、姉がダウン症だからというだけではなく、もし50年以上前に出生前診断が可能だったら、母は中絶したかもしれないと言っているから。
人口の約60%がキリスト教徒のドイツであっても、出生前診断でダウン症という結果が出ると、約90%が中絶を選択するという。
ドイツにはダウン症の店員だけのカフェがあったり、様々な分野で活躍するダウン症の人もいるが、だからと言って、社会が障碍者受け入れで一体化しているわけでもない。
それが現実というのものであり、そのため私たちはその現実の中で苦しむのである。
姉が障碍者ということで、親戚も含めて私たち家族を受け入れてくれない人もいて苦労したが、子どものままで毎日楽しく生活している姉を見ていて、これでよかったと神様に感謝するようになり、私は洗礼を受けてクリスチャンになった。
家族の事情はそれぞれ複雑なので、経済的な困難などの理由で中絶を選択する人がいても、私は残念だと思うが、非難しない。
それでもできれば生むことを選択してほしいと期待するのは、出生前診断は神様の領域を犯しているような感覚があるから。
生まれる前に手術の準備もできるというメリットが指摘されたり、医療的ケアや心理カウンセラーなどのサポートもあるものの、不完全な人間が、神の代理人のように振る舞って、命の選別に手を出してもよいものかどうか、そして障碍者が生まれない社会を望んでいるのではないかとまで感じてしまうのだ。
この本の中で注目したのは、分量は少ないものの、プロテスタント教会の女性牧師が出てくる個所である。
私の教会にも、ダウン症の子どもを持つ夫婦が時々訪れ、一緒に遠足に行ったこともある。
会員の中にも、家族や親戚にダウン症の人がいるという方も多く、それぞれの体験を伝えることもある。
そのためその個所が、教会の活動、牧会の1つの姿を示していると思い、興味を持っているのである。
【結婚式の前に知り合ったプロテスタント教会の女性の牧師にメールを書いた。「どうしていいかわかりません。クリストフは絶対、この子を育てたいと言っています。けれども、現実的に考えると、より負担を背負うことになるのは私のほうだと思うのです。かなり追いつめられているので、一度会ってお話しすることはできませんか。…」
神学的な問いに答えてもらいたいのではない。彼女は現実に即して考えることのできる人だと知っているから。】
【私たち三人は、それぞれティーカップを手にして、牧師の仕事机をかこんですわっている。そして、牧師が取り出したA4の用紙に、クリストフと私はこれからの生活設計を書き記していく。用紙の一番上の枠に、クリストフが黒いフェルトペンで「マルヤ誕生」と書く。… 最後のところに、カッコでくくって「マルヤ六歳」と書く。…】
【マルヤは、私たちが結婚した教会で洗礼を受けた。…
牧師は説教の中でこう言った。マルヤの名において、あなたたちが子どもを授かったことを感謝します。
とても美しく、とても悲しい言葉だった。生まれたことを感謝しなくてはならないのは、悲しい。
マルヤ、私たちのところに来てくれてありがとう。素晴らしい子ども。】
この本を教会で紹介する前に、ドイツ語原著をやはり手に入れて、最後の「悲しい」がドイツ語でどうなのかを確認したくなった。
岩波書店のリンクは次の通り。
www.iwanami.co.jp/book/b450151.html
ドイツ語原著のリンクは次の通り。
www.rowohlt.de/paperback/sandra-schulz-das-ganze-kind-hat-so-viele-fehler.html
ドイツ語和訳の勉強になるかもしれないので、原著をこれから注文する予定だ。
著者のドイツ人ジャーナリスト、サンドラ・シュルツは、38歳で待望の妊娠をする。
血液検査によってダウン症の疑いがみられ、羊水検査で確定した。
その後、超音波診断などで、心臓に重篤な疾患が見つかった。
生まれてからの大手術を乗り越えて、マルヤ(仮名)は今年3月に4歳になった。
この本を読もうと思ったのは、姉がダウン症だからというだけではなく、もし50年以上前に出生前診断が可能だったら、母は中絶したかもしれないと言っているから。
人口の約60%がキリスト教徒のドイツであっても、出生前診断でダウン症という結果が出ると、約90%が中絶を選択するという。
ドイツにはダウン症の店員だけのカフェがあったり、様々な分野で活躍するダウン症の人もいるが、だからと言って、社会が障碍者受け入れで一体化しているわけでもない。
それが現実というのものであり、そのため私たちはその現実の中で苦しむのである。
姉が障碍者ということで、親戚も含めて私たち家族を受け入れてくれない人もいて苦労したが、子どものままで毎日楽しく生活している姉を見ていて、これでよかったと神様に感謝するようになり、私は洗礼を受けてクリスチャンになった。
家族の事情はそれぞれ複雑なので、経済的な困難などの理由で中絶を選択する人がいても、私は残念だと思うが、非難しない。
それでもできれば生むことを選択してほしいと期待するのは、出生前診断は神様の領域を犯しているような感覚があるから。
生まれる前に手術の準備もできるというメリットが指摘されたり、医療的ケアや心理カウンセラーなどのサポートもあるものの、不完全な人間が、神の代理人のように振る舞って、命の選別に手を出してもよいものかどうか、そして障碍者が生まれない社会を望んでいるのではないかとまで感じてしまうのだ。
この本の中で注目したのは、分量は少ないものの、プロテスタント教会の女性牧師が出てくる個所である。
私の教会にも、ダウン症の子どもを持つ夫婦が時々訪れ、一緒に遠足に行ったこともある。
会員の中にも、家族や親戚にダウン症の人がいるという方も多く、それぞれの体験を伝えることもある。
そのためその個所が、教会の活動、牧会の1つの姿を示していると思い、興味を持っているのである。
【結婚式の前に知り合ったプロテスタント教会の女性の牧師にメールを書いた。「どうしていいかわかりません。クリストフは絶対、この子を育てたいと言っています。けれども、現実的に考えると、より負担を背負うことになるのは私のほうだと思うのです。かなり追いつめられているので、一度会ってお話しすることはできませんか。…」
神学的な問いに答えてもらいたいのではない。彼女は現実に即して考えることのできる人だと知っているから。】
【私たち三人は、それぞれティーカップを手にして、牧師の仕事机をかこんですわっている。そして、牧師が取り出したA4の用紙に、クリストフと私はこれからの生活設計を書き記していく。用紙の一番上の枠に、クリストフが黒いフェルトペンで「マルヤ誕生」と書く。… 最後のところに、カッコでくくって「マルヤ六歳」と書く。…】
【マルヤは、私たちが結婚した教会で洗礼を受けた。…
牧師は説教の中でこう言った。マルヤの名において、あなたたちが子どもを授かったことを感謝します。
とても美しく、とても悲しい言葉だった。生まれたことを感謝しなくてはならないのは、悲しい。
マルヤ、私たちのところに来てくれてありがとう。素晴らしい子ども。】
この本を教会で紹介する前に、ドイツ語原著をやはり手に入れて、最後の「悲しい」がドイツ語でどうなのかを確認したくなった。
テーマ : 障害児と共に生きる日々
ジャンル : 福祉・ボランティア