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2010年ノーベル化学賞:Heck反応ではなくMizoroki-Heck反応と呼ぼう

2010年ノーベル化学賞は、「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング反応」 が選ばれ、ヘック(Heck)教授・根岸教授・鈴木教授の3名が、数多くの有機金属研究者の代表として受賞することになった。

発表直後の日本国内の報道では、日本人受賞者のことばかり熱狂的に伝えていた。
数日経って落ち着いたためか、Heck教授も含めた他の有機金属研究者の話題も、散発的だが、取り上げるようになった。

受賞者の一人であるHeck教授の場合も、他の二人と同様に、その反応に発見者名が付けられて、Heck反応と呼ばれている。
ただし、Heck教授とは独立に、しかも1年前に、日本の溝呂木勉博士が同じ反応を発見して、既に報告していた。

そこで、日本の化学者を中心にして、「Mizoroki-Heck反応」 と呼ぶことが提案されており、最近発行された Wiley の専門書のタイトルも、「The MIZOROKI-HECK Reaction」 である。
as.wiley.com/WileyCDA/WileyTitle/productCd-0470033940.html

Mizoroki-Heck

この Mizoroki-Heck反応を主題とした記事が、5月17日の Chemical & Engineering News に掲載されている。
pubs.acs.org/cen/
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In Names, History And Legacy
Mizoroki arrived at the reaction first, but “I wasn’t too far behind,” Heck says. Mizoroki didn’t follow up on the reaction or seem to recognize its value, he adds. “Unfortunately, Mizoroki died quite young, before he could do much chemistry with palladium,” Heck says. “Maybe if he’d lived, it might’ve been called the Mizoroki reaction instead.” Changes to reactions’ names matter because they mark a shift in the history of a reaction, and in a small way, ... Chemical & Engineering News, 88(20), May 17, 2010
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記事の閲覧は会員のみなので、ダウンロードできない人は、記者が書いたブログを代わりに参照してほしい。
cenblog.org/newscripts/2010/05/how-should-reactions-be-named/

既に引退した Heck教授自身は、この反応の名称などどちらでもよいそうだが、私は日本人なので、Mizoroki-Heck 反応を使うことにしよう。
ただ、Overman 教授が言うように、書くときは Mizoroki-Heck反応でも、話すときは簡略化のために Heck反応とする方が、誤解がないかもしれない。

日本化学会の英語論文誌に掲載された、溝呂木らの最初の論文は次の通り。
Mizoroki, T.; Mori, K.; Ozaki, A., Bull. Chem. Soc. Jpn., 1971, 44, 581.
http://www.journalarchive.jst.go.jp/english/jnlabstract_en.php?cdjournal=bcsj1926&cdvol=44&noissue=2&startpage=581

先行して、二価パラジウムを用いたオレフィンのアリール化が報告されていたが、この論文で、触媒量のパラジウムを用いたスチレン誘導体の効率的合成法が、初めて示された

同じ反応を報告した Heck の論文は約1年後に投稿されているが、「独立に発見した」 と書いている
Heck, R. F.; Nolley, Jr., J. P., J. Org. Chem., 1972, 37, 2320.
pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/jo00979a024

全く独立に同じ反応を発見することは、稀ではあるが実際には起こることがあり、後から論文を書くときは、このような表現を使う。
Heck の論文の冒頭は Mizoroki らの論文の引用で始まっており、先駆者に敬意を表している。

Mizoroki and coworkers have recently reported a palladium-catalyzed arylation reaction of
olefinic compounds
with aryl iodides and potassium acetate in methanol at 120°. We have
independently discovered this reaction
and ...


しかし周囲の化学者は、この応用価値の高い反応を Heck 反応と呼ぶことにしてしまった。
Mizoroki らの論文が、当時はマイナーな日本化学会の論文誌に掲載されたため、無視されたとも言われる。
画期的な論文を英語で発表しても、著名化学者が引用していても、日本の論文誌は無視されるのだろうか。

日本化学会の英語論文誌 Bull. Chem. Soc. Jpn. は当時、マイナーな雑誌と思われていたため、アメリカ人研究者は、ほとんどチェックしていなかったという。
有機金属触媒反応で有名な Hartwig教授も、大学院生時代には、読むべき雑誌のリストに入れていなかったそうだ。


このような過去もあってか、今回のノーベル化学賞受賞を機会に、日本の有機化学の層が厚いことを示すために、溝呂木博士の発見についても紹介する記事を書いている新聞も見られるようになった。

例えば毎日新聞の記事は次の通り。
mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20101007ddn003040011000c.html

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【…この分野は、日本が世界を先導してきた「お家芸」といえる。70年代、多くの日本人研究者が、パラジウムやニッケルなどの金属を触媒に用いたカップリングの研究に傾注した。きっかけは、玉尾皓平(こうへい)・理化学研究所基幹研究所長(67)らが72年に発表したニッケルを触媒に使ったクロスカップリングだ。その後、望まない副生成物ができるのを抑えるなど、改良が重ねられ、日本人研究者の名前を冠した化学反応が次々と生まれた。今回受賞したリチャード・ヘック米デラウェア大名誉教授(79)の化学反応も、研究者の世界で「溝呂木(みぞろき)・ヘック反応」とも呼ばれる。「溝呂木」は故・溝呂木勉・東京工大元教官のことで、溝呂木さんがヘック名誉教授の1年前に発見した反応だった。

玉尾さんの発見にヒントを与えた山本明夫・東京工大名誉教授(有機金属化学)は「当時の日本の研究室は、資金や機材などが潤沢ではなかったが、有機化学の研究者の層が大変厚かった。最初にやったという点では、玉尾さんが入ってもよかったのではないかと思うが、今日の3人の組み合わせは、応用に対する価値をより重視したように思う」と指摘する。小林修・東京大教授(有機合成化学)は「これらの発見は歴史が古く、世界中でいろいろな分野で使われている。その点が高く評価されたのだろう」と話す。…

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ここで名前が出てきた玉尾博士について、四国新聞では次のようにある。
www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx

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…日本人2人のノーベル化学賞受賞が決まった有機合成の革新的手法「クロスカップリング反応」は、日本が得意とする有機化学の中でも特に強い分野。東京工業大の碇屋隆雄教授(有機金属化学)は「ノーベル賞を取ってもおかしくない人がたくさんいる」と話す。

専門家の間では、鈴木氏や根岸氏のほかにも玉尾皓平理化学研究所基幹研究所所長(観音寺市出身)や、辻二郎東京工業大名誉教授らの名前が有力候補として挙がっていた。

日本人2人と同時受賞したリチャード・ヘック米デラウェア大名誉教授が発見した反応については、国内専門家の間で、東京工業大の溝呂木勉氏(故人)が先に発見したとの声が上がる。林民生京都大教授(有機化学)は「ヘック反応は溝呂木・ヘック反応とも呼ばれている」と指摘。碇屋教授は「もし溝呂木さんがご存命だったら、受賞は3人とも日本人だったかもしれない」と語った。

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受賞者は3名までという規定があるので、漏れてしまった人は悔しいと感じているかもしれないが、逆に、選考委員会が困るほどの研究者の層の厚さを示すことができたと、誇りに思うことにしたい。

最後になるが、Suzuki反応も、Suzuki-Miyaura反応と呼ぶ方がよい(慣例では、最大で3名まで入れられるから)。
書くときは、最初に Suzuki-Miyaura reaction として、その後は略称として Suzuki reaction とすることは許されるだろう。

テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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MarburgChemie

Author:MarburgChemie
製薬メーカー子会社の解散後、民間企業研究所で派遣社員として勤務していましたが、化学と語学の両方の能力を活かすために専業翻訳者となりました。

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