アウシュヴィッツ裁判の映画「顔のないヒトラーたち」を鑑賞した
第二次世界大戦終結から70年の今年は、日本とドイツの戦後の歩みの違いを意識する年でもあったように思う。
日本はドイツに学べなどと、よく批判されるが、周辺国との関係や状況が全く異なるため、単純なことは言えない。
それでも、現在のドイツがEUのリーダーと期待されるまでになった背景について、その歩みを学ぶことは無駄ではないだろう。
「過去を直視して忘れない」という決意が、戦後の西ドイツの特徴と思われているが、実際には経済的復興を優先して、ナチスが支配したドイツを過去のもとして忘れ去ろうとしていた。
そして元ナチス党員が政府も含めて要職に就いていたことも事実だ。
そのような風潮を一変させたのは、今回鑑賞した映画で取り上げられた、アウシュヴィッツ裁判である。
2014年作のドイツ映画、「顔のないヒトラーたち」、原題は Im Labyrinth des Schweigens (沈黙の迷宮の中で)。
公式サイトは次の通り(YouTubeの予告編あり)。
kaononai.com/
在日ドイツ大使館とシネマトゥデイの紹介記事、Newsweek日本版のコラムは、それぞれ次の通り。
www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/__events/2015-10-12/2015LabyrinthSchweigens.html
www.cinematoday.jp/movie/T0020196
www.newsweekjapan.jp/ooba/2015/09/post-4.php
映画パンフレットに掲載された、在独ジャーナリスト熊谷徹のコメントは、ハフィントンポストのサイトでも読める。
www.huffingtonpost.jp/toru-kumagai/auschwitz-trial_b_8238418.html
映画では実在の人物も登場するが、主人公の若き検事は架空の人物であり、ドキュメンタリーというよりは、歴史の再認識に至るまでの、様々な立場のドイツ人の葛藤を表現している。
アウシュヴィッツからの生還者の証言シーンもあるが、それよりも「いまさら過去をあばくな」という周囲の圧力や、警察・政府機関の非協力的態度の比重が大きく感じられた。
そして逮捕場面も含めて、元親衛隊員が戦後、教師やパン職人など、ごく普通のドイツ人として暮らしていることを見せて、「普通の人間が残酷な殺人者にもなれる」ということを意識させようとしたのだと思う。
アウシュヴィッツを忘れないことと同時に大切なのは、アウシュヴィッツのような人道に対する犯罪を二度と行ってはならないと決意することだ。
日本では同様の裁判はできないとしても、国際社会で名誉ある地位を得たいのであれば、化学兵器の使用や人体実験、強制労働などの事実を認め、過去の過ちを繰り返さないことを国会決議してほしいものだ。
ところで、ドイツ語の方が、英語よりも聞き取りやすいと感じるのは、私だけだろうか。
日本はドイツに学べなどと、よく批判されるが、周辺国との関係や状況が全く異なるため、単純なことは言えない。
それでも、現在のドイツがEUのリーダーと期待されるまでになった背景について、その歩みを学ぶことは無駄ではないだろう。
「過去を直視して忘れない」という決意が、戦後の西ドイツの特徴と思われているが、実際には経済的復興を優先して、ナチスが支配したドイツを過去のもとして忘れ去ろうとしていた。
そして元ナチス党員が政府も含めて要職に就いていたことも事実だ。
そのような風潮を一変させたのは、今回鑑賞した映画で取り上げられた、アウシュヴィッツ裁判である。
2014年作のドイツ映画、「顔のないヒトラーたち」、原題は Im Labyrinth des Schweigens (沈黙の迷宮の中で)。
公式サイトは次の通り(YouTubeの予告編あり)。
kaononai.com/
在日ドイツ大使館とシネマトゥデイの紹介記事、Newsweek日本版のコラムは、それぞれ次の通り。
www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/__events/2015-10-12/2015LabyrinthSchweigens.html
www.cinematoday.jp/movie/T0020196
www.newsweekjapan.jp/ooba/2015/09/post-4.php
映画パンフレットに掲載された、在独ジャーナリスト熊谷徹のコメントは、ハフィントンポストのサイトでも読める。
www.huffingtonpost.jp/toru-kumagai/auschwitz-trial_b_8238418.html
映画では実在の人物も登場するが、主人公の若き検事は架空の人物であり、ドキュメンタリーというよりは、歴史の再認識に至るまでの、様々な立場のドイツ人の葛藤を表現している。
アウシュヴィッツからの生還者の証言シーンもあるが、それよりも「いまさら過去をあばくな」という周囲の圧力や、警察・政府機関の非協力的態度の比重が大きく感じられた。
そして逮捕場面も含めて、元親衛隊員が戦後、教師やパン職人など、ごく普通のドイツ人として暮らしていることを見せて、「普通の人間が残酷な殺人者にもなれる」ということを意識させようとしたのだと思う。
アウシュヴィッツを忘れないことと同時に大切なのは、アウシュヴィッツのような人道に対する犯罪を二度と行ってはならないと決意することだ。
日本では同様の裁判はできないとしても、国際社会で名誉ある地位を得たいのであれば、化学兵器の使用や人体実験、強制労働などの事実を認め、過去の過ちを繰り返さないことを国会決議してほしいものだ。
ところで、ドイツ語の方が、英語よりも聞き取りやすいと感じるのは、私だけだろうか。