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健康保険証の裏側の臓器提供意思表示欄にも記入した

今朝のNHK総合・週刊ニュース深読みでは、臓器移植法20年を迎えたことに関連して、臓器提供の意思表示について取り上げていた。
www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2017/171021.html

私は既に、運転免許証の裏にある臓器提供意思欄で、脳死後でも心臓停止後でも、いずれの場合も臓器提供をすることを明示している。
これで十分かもしれないが、念のため、健康保険証の裏でも、同様に臓器提供の意思表示をした。

臓器提供意思欄について、日本臓器移植ネットワークの説明は、以下の通り。
www.jotnw.or.jp/donation/method.html

私が死ぬ場合を考えているとは、周囲の人たちはあまり考えていないようだが、交通事故死の可能性があると思っているので、すぐに対応してもらえるように意思表示している。

自転車に乗っているときの事故で、これまでに3回骨折しているので、ヘルメットを着用していても、死ぬことがあるかもしれないと考えている。
危険運転をする人に追いかけられたこともあるので、最近のニュースのように、殺される可能性もゼロではない。

ところで、番組に出演した専門家の発言として、ヨーロッパではキリスト教の考え方から、臓器提供の意思表示をする人の割合が、日本よりも多いというものがあった。

キリスト教では、私の命も肉体も、すべて神とイエス・キリストのものであると考えている。
神から命と肉体を与えられて、この地上に派遣されたのだから、地上での命が終われば、私の肉体は神が望むように、例えば、臓器移植で他の命を救うために用いられることが、私の喜びにもなる。

地上に残された家族や友人も、私の死によってのみ生かされる命があることを理解し、臓器移植に賛同してくれると信じたい。

しかし、すべてのキリスト者が、臓器提供を望んでいるわけではない。

ある神学者と対話したとき、他人の死を待っているように思えるので、臓器提供はしたくないし、移植してほしいとも思わない、と言っていた。

臓器提供者を待つ患者やその家族は、他の治療法がないため最後の手段なのであるが、実際には、他人の死を待つことになる。
その思いとは、生きることに執着する人間主体の肉の思いなのだろうか。
それとも、神が本当に、病に苦しむその人を救いたくて、他の臓器提供者になる人を先に天に送ることにしたのか、それは人間にはわからない。

生前の意思表示が大切だということは、父が他界したときに痛感したし、臓器提供に抵抗がないのは、既に骨髄ドナーとして提供したからかもしれない。

私の父は、私のドイツ留学中に他界した。
その当時は、まだ臓器移植法がなく、父は臓器提供の意思表示をせずに亡くなった。

そのとき母は、臓器提供の可能性について、入院していた病院で相談していた。
がんが各臓器に転移していたため、内臓は使えないだろうということになり、角膜のみをアイバンクに提供することにした。
私が帰国してからでは間に合わないため、母は独断で提供を決めた。

父は以前から、障碍者を持つ家族同士は助け合わなければならない、と言っていたため、私たち家族は、父の意思を尊重したと思っていた。
それに、角膜という一部であっても、この世に存在して、誰かに幸せを与えていると思うと、死別の悲しみは薄らいだ。

しかし、この決定は、父方の親族の怒りを買うことになった。
嫁が勝手に遺体に傷をつけた、と騒ぎだし、葬式の段取りが出身地と違うことでも文句を言い始めた。
祖父母の財産相続について争っていたことに加えて、葬式の時にも対立するなんて、人間が更に嫌いになってしまった。

このような体験から、生前に臓器提供の意思表示をして、家族の同意をとることは大切だろう。
それでも、親族の同意までは求められないため、同様に反対する人はいるかもしれないが、最低限、本人の意思であることは明確にされる。

私が骨髄バンクに登録したのは、大学院で研究生活をしていたときである。
健康な体を何に役立てればよいのかと考えていた頃、テレビで骨髄バンクのドナーが足りないことを知った。
私は白血病の特効薬を発明するような能力はないため、この健康な体をそのまま治療に使ってほしいと望み、献血のついでに登録した。

このとき家族の同意書には、父が署名してくれた。
しかし、研究第一と考える大学の研究室では、理解してもらうことは困難であった。
「学会などで忙しい時期に選ばれると困る」、「謝礼がもらえないのに、どうして無関係の他人を助けるのか」という意見があり、反発してしまった。

ドナーを断念した事例として、勤務先が休暇を認めなかったり、同意していたはずの家族が反対したということもある。
リスクを嫌う人たちや、ボランティア活動を職場に迷惑をかける自分勝手な活動と思っている人たちがいることも、現実である。

実際に提供したのは、父の死から約1年後、既に日本に帰国していたが、希望する職場ではなく、日本が嫌になっていた頃だった。
当時は、パワハラ教授と対立していて、学生を擁護する発言などで嫌われたため、退職届の提出を要求されていた。

そんなとき、骨髄バンクから、患者と適合したため精密検査を受けてほしいという通知が届いた。
患者の命を救うために日本に呼び戻されたのだ、という、何か目に見えない力で動かされている感覚がした。
仕事は苦しいが、学生を助けるため、そしてドナーの準備をするために、仕事を続けるモチベーションが強まった。

実際に提供して麻酔から覚めると、患者を救えたことの充実感と共に、健康な体を与えられたこと、生かされていることそのものに感謝して、命があれば他には何もいらない、と思うようになった。

このとき、研究者としてのキャリアや収入などの、この世の価値観、つまり偶像から解放された。
この体験も、私のキリスト教信仰の中心をなす1つである。

骨髄を提供しようというのは、私の意思表示ではあったが、試練の中で、骨髄提供によって神からのメッセージを受け取ったと解釈できたため、キリスト者になった。

この体験から、私の健康な体を他者のために用いてほしいという気持ちはより強くなり、そして洗礼を受けて私の体は神のものになったため、脳死後に臓器提供をすることには、全く抵抗はない。

もし交通事故のときは、実家の母が来るまでに時間がかかるだろうから、教会の役員に対応してもらうように頼もうかと思う。
ただし、意思表示した私を過剰に評価したり、キリスト者だから臓器提供に賛成するようにと、他者にプレッシャーをかけることはしないでほしいものだ。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

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MarburgChemie

Author:MarburgChemie
製薬メーカー子会社の解散後、民間企業研究所で派遣社員として勤務していましたが、化学と語学の両方の能力を活かすために専業翻訳者となりました。

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