面倒な元号使用はやめてほしい
今朝のニュースでは、平成が残り1年となったことを報じていた。
今年2018年は、確認すると、平成30年ということだ。
最近は、銀行や保険の書類で、記入日を平成で書くように求められている。
平成では覚えていないため、いつも窓口で、「今年は平成では何年ですか?」 と質問してから記入している。
元号の方が数字が2桁で済むので、データ入力の手間も少なくなるのかもしれないが、元号が変わると書類の更新だけではなく、システム全体を変える必要があるので面倒だ。
そして、運転免許証を確認してみると、今年の7月、つまり平成30年のうちに、私は更新することになっている。
次の元号は決まっていないため、有効期限は平成35年と記載される。
新元号が決まってから、平成35年から換算しなければならないから、面倒だ。
政府の報告書などの公的文書も元号で書いているため、西暦と併記していない場合は、今後もずっと換算する手間が生じる。
印刷業者やシステム関係の仕事が一時的に増えるが、他の重要な仕事に人材を投入したくても、新元号に対応するために人手が取られてしまい、迷惑な話のようにも思える。
西暦を使うと何か困るのだろうか、元号を使う方が大幅に便利になるのだろうか。
元号をどうしても使いたいのならば、希望する人たちだけが、自主的に文化を継承する活動をしたり、宮内庁や神社の文書に書くだけでも構わないのではないか。
便利かどうかという問題の他に、元号を使用するかどうかの選択により、思想チェックのようなことが行われるので、元号は嫌いだ。
中学の時は海外短波放送を聞いて受信レポートを送っていたから、受信ログもレポートも、当然ながら西暦で記録していた。
大学では化学を専攻して論文を読んだり発表するので、西暦だけを使っていた。
ただし、日本の学会誌であっても、日本語の場合は、元号のみを書いていることもあり、英語論文を書くときに引用する際に、西暦に変換するのが面倒だった。
そのように西暦を使用することが日常であったため、教育実習の日誌もレポートも、印刷済みの「昭和」を二重線で抹消して、西暦で記入していた。
すると、実習後に教育委員会のチェックを受けて戻ってきた日誌を見ると、その二重線で消した箇所すべてが赤ペンでマークされていた。
更に、教員免許状を申請するときの用紙でも、「昭和」を抹消して西暦にして提出したところ、大学事務局からクレームが来た。
「申請書にこのような余計なことをすると、教員免許が発行されない恐れがある。それでもよいのか」と言われた。
私は、「何も悪いことはしていない。西暦のどこが悪いのか」と反論し、そのまま提出した。
教員免許は無事に発行されたが、このように元号を抹消するような学生がいることを、大学側は知られたくなかったのかもしれない。
このような過剰な反応を生むのが、元号使用の嫌な面だ。
来年5月から、また面倒なことが発生するので、元号での記入を求められても、西暦で押し通してみよう。
今年2018年は、確認すると、平成30年ということだ。
最近は、銀行や保険の書類で、記入日を平成で書くように求められている。
平成では覚えていないため、いつも窓口で、「今年は平成では何年ですか?」 と質問してから記入している。
元号の方が数字が2桁で済むので、データ入力の手間も少なくなるのかもしれないが、元号が変わると書類の更新だけではなく、システム全体を変える必要があるので面倒だ。
そして、運転免許証を確認してみると、今年の7月、つまり平成30年のうちに、私は更新することになっている。
次の元号は決まっていないため、有効期限は平成35年と記載される。
新元号が決まってから、平成35年から換算しなければならないから、面倒だ。
政府の報告書などの公的文書も元号で書いているため、西暦と併記していない場合は、今後もずっと換算する手間が生じる。
印刷業者やシステム関係の仕事が一時的に増えるが、他の重要な仕事に人材を投入したくても、新元号に対応するために人手が取られてしまい、迷惑な話のようにも思える。
西暦を使うと何か困るのだろうか、元号を使う方が大幅に便利になるのだろうか。
元号をどうしても使いたいのならば、希望する人たちだけが、自主的に文化を継承する活動をしたり、宮内庁や神社の文書に書くだけでも構わないのではないか。
便利かどうかという問題の他に、元号を使用するかどうかの選択により、思想チェックのようなことが行われるので、元号は嫌いだ。
中学の時は海外短波放送を聞いて受信レポートを送っていたから、受信ログもレポートも、当然ながら西暦で記録していた。
大学では化学を専攻して論文を読んだり発表するので、西暦だけを使っていた。
ただし、日本の学会誌であっても、日本語の場合は、元号のみを書いていることもあり、英語論文を書くときに引用する際に、西暦に変換するのが面倒だった。
そのように西暦を使用することが日常であったため、教育実習の日誌もレポートも、印刷済みの「昭和」を二重線で抹消して、西暦で記入していた。
すると、実習後に教育委員会のチェックを受けて戻ってきた日誌を見ると、その二重線で消した箇所すべてが赤ペンでマークされていた。
更に、教員免許状を申請するときの用紙でも、「昭和」を抹消して西暦にして提出したところ、大学事務局からクレームが来た。
「申請書にこのような余計なことをすると、教員免許が発行されない恐れがある。それでもよいのか」と言われた。
私は、「何も悪いことはしていない。西暦のどこが悪いのか」と反論し、そのまま提出した。
教員免許は無事に発行されたが、このように元号を抹消するような学生がいることを、大学側は知られたくなかったのかもしれない。
このような過剰な反応を生むのが、元号使用の嫌な面だ。
来年5月から、また面倒なことが発生するので、元号での記入を求められても、西暦で押し通してみよう。