「宗教が果たすべき役割」(島薗進・上智大学教授・「東洋経済」2018年9月1号)
本日発売の経済誌 「東洋経済」2018年9月1日号の特集は、「宗教 カネと権力」である。
store.toyokeizai.net/magazine/toyo/20180827
経済誌なので、宗教法人の税制優遇や、財務諸表が非公開のことが多いという指摘、そして宗教職の労務管理や社会保険加入の話題など、いろいろな情報が並べられている。
私が会員であるプロテスタント教会では、会計担当の役員がきちんと管理しているため、使途不明金もないし、将来のための積立金も、ある程度確保してある。
ただし、少子高齢化の影響で、会員の献金額が年々減少しており、このまま若い人が入ってこなければ、10年後には活動範囲を縮小しなければならないかもしれない。
49ページにキリスト教系の大学の一覧が示されて、人気のある有名ミッション系大学もあるのに、信徒は増えない。
日本でクリスチャンが増えない理由はいろいろと指摘されているが、「ゴリヤクがない」ということも一因と言われている。
イエス・キリストを信じても、お金持ちになれるわけでもなく、病気が治るわけでもなく、志望校に合格するわけでもない。
やはり宗教は、現世の利益追求ではなく、「魂の救済」 を目的にしたものではないだろうか。
特集記事の最後、63ページに、「それでも宗教が果たすべき役割はある」という島薗進・上智大学教授のインタビューが掲載されている。
島薗教授は、上智大学グリーフケア研究所の所長でもある。
研究所のHPは次の通り。
www.sophia.ac.jp/jpn/otherprograms/griefcare/index.html
また、興味のある方は、日本キリスト教団出版局の雑誌 「信徒の友」9月号の特集、「病と信仰 神はどこにおられるのか」 も併せて読んでもよいだろう。
インタビュー記事では、初めにオウム真理教を含む暴力的な宗教団体について振り返り、そして最近では、社会転覆を謀る発送よりも、個々人のスピリチュアルな思考を中心にしているところが多いという分析を紹介している。
島薗教授が懸念しているのは、日本会議に代表される、右派の国家主義的主張をする勢力の台頭である。
現代は、IS(イスラム国)やトランプ大統領の支持基盤と言われる草の根保守など、排他的な右派が出やすい時代だという。
最近の道徳教育の変化を見て、私も危惧を抱いているため、右派の台頭についての記述を引用しよう。
【よく日本は無宗教というが、終戦までは天皇陛下の前に深くぬかずつという時代だった。そうした戦前の国家主義的な思考が日本には根強く残っている。日本人は軽く見がちだが、宗教と政治はかなり大きく重なりやすいと自覚する必要がある。】
私は最近のブログ記事で、宗教の教員免許を取得しようという気持ちが生じていることを書き、教会で数名の方にも相談しており、牧師とも今後の生き方について相談するつもりだ。
日本は教育基本法の改悪も含めて、じわじわと右傾化しており、このままでは基本的人権も無視されるような社会になりそうだ。
そのため、理科と宗教の2分野の教員免許を持つ私が、キリスト教系の学校で生徒たちを守る防波堤になるべきではないかと考えている。
記事では最後に、宗教こそが果たせる役割の1つとして、医療とケアの分野を挙げている。
人口減によって集団としての力は落ちても、文化的な影響力はある程度維持されると予測しており、宗教の重要性を意識している学生もいる。
特に医療の現場では、死生学的な側面や緩和ケアの重要性が高まっており、自然科学では対応できない精神性の役割がより大きいと見られている。
宗教者が医療やケアなどの異なる分野で活動することも増えている。
上智大学のグリーフケア講座の受講生は、約4割が看護師だという。
患者の死に立ち会うこともある看護師は、ケアにおいて宗教の重要性を理解していると思われる。
記事の最後の部分も、そのまま引用しよう。
【経済発展期の宗教は、富の拡大と個人の幸せを重ね合わせて考えてきた。両者間に距離を取ることができないのが弱点だった。これからの宗教は一般の社会生活にかかわりを持つのが自然で、宗教こそが果たせる役割があると感じる人は増えている。】
私も教会の中で、科学者と宗教の関係や、障碍者の姉、そして骨髄バンクでのドナー体験など、キリスト教の視点から話をする機会があったが、教会の外にいる人々に対して、現時点では残念ながら、ほとんど発信していない。
教会での礼拝を中心とする伝統的な信仰生活を重視する人もいるが、私は元々高校教員志望だったためなのか、教会の外でイエス・キリストの言葉を必要としている苦しんでいる人のそばで活動すべきだと思っている。
それならば、社会活動を積極的に行っている教会に移籍すればいいと言われそうだが、日曜日は今の教会の活動をして聖書に向き合い、平日は一般の社会生活の中で、必要とされる所へと派遣されるという信仰生活が合っていると思う。
このまま翻訳者として80歳まで働くのか、それとも55歳前後で非常勤講師になるのか、あるいは博物館などの職員となるのか、または大学の聴講生として神学を学ぶのか、どの道が示されるのか、毎日問いながら生活しよう。
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経済誌なので、宗教法人の税制優遇や、財務諸表が非公開のことが多いという指摘、そして宗教職の労務管理や社会保険加入の話題など、いろいろな情報が並べられている。
私が会員であるプロテスタント教会では、会計担当の役員がきちんと管理しているため、使途不明金もないし、将来のための積立金も、ある程度確保してある。
ただし、少子高齢化の影響で、会員の献金額が年々減少しており、このまま若い人が入ってこなければ、10年後には活動範囲を縮小しなければならないかもしれない。
49ページにキリスト教系の大学の一覧が示されて、人気のある有名ミッション系大学もあるのに、信徒は増えない。
日本でクリスチャンが増えない理由はいろいろと指摘されているが、「ゴリヤクがない」ということも一因と言われている。
イエス・キリストを信じても、お金持ちになれるわけでもなく、病気が治るわけでもなく、志望校に合格するわけでもない。
やはり宗教は、現世の利益追求ではなく、「魂の救済」 を目的にしたものではないだろうか。
特集記事の最後、63ページに、「それでも宗教が果たすべき役割はある」という島薗進・上智大学教授のインタビューが掲載されている。
島薗教授は、上智大学グリーフケア研究所の所長でもある。
研究所のHPは次の通り。
www.sophia.ac.jp/jpn/otherprograms/griefcare/index.html
また、興味のある方は、日本キリスト教団出版局の雑誌 「信徒の友」9月号の特集、「病と信仰 神はどこにおられるのか」 も併せて読んでもよいだろう。
インタビュー記事では、初めにオウム真理教を含む暴力的な宗教団体について振り返り、そして最近では、社会転覆を謀る発送よりも、個々人のスピリチュアルな思考を中心にしているところが多いという分析を紹介している。
島薗教授が懸念しているのは、日本会議に代表される、右派の国家主義的主張をする勢力の台頭である。
現代は、IS(イスラム国)やトランプ大統領の支持基盤と言われる草の根保守など、排他的な右派が出やすい時代だという。
最近の道徳教育の変化を見て、私も危惧を抱いているため、右派の台頭についての記述を引用しよう。
【よく日本は無宗教というが、終戦までは天皇陛下の前に深くぬかずつという時代だった。そうした戦前の国家主義的な思考が日本には根強く残っている。日本人は軽く見がちだが、宗教と政治はかなり大きく重なりやすいと自覚する必要がある。】
私は最近のブログ記事で、宗教の教員免許を取得しようという気持ちが生じていることを書き、教会で数名の方にも相談しており、牧師とも今後の生き方について相談するつもりだ。
日本は教育基本法の改悪も含めて、じわじわと右傾化しており、このままでは基本的人権も無視されるような社会になりそうだ。
そのため、理科と宗教の2分野の教員免許を持つ私が、キリスト教系の学校で生徒たちを守る防波堤になるべきではないかと考えている。
記事では最後に、宗教こそが果たせる役割の1つとして、医療とケアの分野を挙げている。
人口減によって集団としての力は落ちても、文化的な影響力はある程度維持されると予測しており、宗教の重要性を意識している学生もいる。
特に医療の現場では、死生学的な側面や緩和ケアの重要性が高まっており、自然科学では対応できない精神性の役割がより大きいと見られている。
宗教者が医療やケアなどの異なる分野で活動することも増えている。
上智大学のグリーフケア講座の受講生は、約4割が看護師だという。
患者の死に立ち会うこともある看護師は、ケアにおいて宗教の重要性を理解していると思われる。
記事の最後の部分も、そのまま引用しよう。
【経済発展期の宗教は、富の拡大と個人の幸せを重ね合わせて考えてきた。両者間に距離を取ることができないのが弱点だった。これからの宗教は一般の社会生活にかかわりを持つのが自然で、宗教こそが果たせる役割があると感じる人は増えている。】
私も教会の中で、科学者と宗教の関係や、障碍者の姉、そして骨髄バンクでのドナー体験など、キリスト教の視点から話をする機会があったが、教会の外にいる人々に対して、現時点では残念ながら、ほとんど発信していない。
教会での礼拝を中心とする伝統的な信仰生活を重視する人もいるが、私は元々高校教員志望だったためなのか、教会の外でイエス・キリストの言葉を必要としている苦しんでいる人のそばで活動すべきだと思っている。
それならば、社会活動を積極的に行っている教会に移籍すればいいと言われそうだが、日曜日は今の教会の活動をして聖書に向き合い、平日は一般の社会生活の中で、必要とされる所へと派遣されるという信仰生活が合っていると思う。
このまま翻訳者として80歳まで働くのか、それとも55歳前後で非常勤講師になるのか、あるいは博物館などの職員となるのか、または大学の聴講生として神学を学ぶのか、どの道が示されるのか、毎日問いながら生活しよう。