アンゲラ・メルケル 「わたしの信仰:キリスト者として行動する」(新教出版)
先月下旬、2017年に出版されたアンゲラ・メルケル独首相の教会などでの講演を収めた本、"Daran glaube ich: Christliche Standpunkt" の和訳が刊行された。
大量の難民を受け入れるという人道的判断をしたメルケル首相の行動の基盤に、キリスト教の信仰があることが理解できる資料である。
出生前診断や安楽死などの生命倫理の問題について、聖書を引用しながら考えているということも、キリスト者にとって参考となる姿勢だ。
新教出版の紹介サイトは次のリンク。
www.shinkyo-pb.com/2018/08/24/post-1309.php
キリスト教メディアのクリスチャンプレスでの紹介記事は次のリンク。
www.christianpress.jp/daran-glaube-ich-christliche-standpunkte-angela-merkel/
また、ドイツ語原著の発行元の紹介サイトは次のリンク。
www.st-benno.de/shop/angela-merkel-daran-glaube-ich.html
ドイツ語原著はまだ購入していなかったので、アマゾンで注文しておいた。
今回発行された和訳は、紀伊國屋書店で注文して、本日午前中に自宅に届いた。
今日は教会で聖書研究会・祈祷会があったので、その移動中に電車内で4分の1ほど読んだ。
まず初めに、「V 難民危機とその結果」 から、「人々の連帯と開かれた社会とは矛盾しない」 を読んだ。
連帯ということでシリア難民の話があり、「ドイツは法治国家です。法治国家は助けを必要とする人に援助を提供します。… 現在のドイツは、多くの人たちが逃げてきたいと思う国になっています。ここには秩序があり、法と人間の尊厳が保証されています。」とあり、誰かに聞かせたい言葉だ。
また、国内の「異なる世代間の連帯」にも話が及び、そして最後に強調しているのは「宗教の授業の重要性」である。
「なぜなら宗教の授業では、良心の問題、心の教育が大切になるからです。宗教はわたしたち自身の人生に関わるだけでなく、それ以上に、…神の被造物としてのわたしたちの人生の大きな関連性を扱うからです。」
キリスト教徒の割合が減少しているドイツでは、宗教の授業を倫理に変えようとする動きもあるが、難民支援やボランティア活動など、外に開かれた社会における人々の連帯を強めるために、キリスト教の教育は役立つであろう。
そして最初に戻って読んでいたところ、「I 信仰と告白」 の 「わたしの人生の規範」 で引用された、ミカ書第6章第8節の聖句が印象に残った。
その部分を新共同訳から引用しよう。
人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。
この部分は、「神を愛し、隣人を愛すること」 を別の表現で伝えているものだ。
このように明確に提示されているものの、不完全な罪深い私たちには、実践することは困難である。
それでも、その課題にチャレンジし、神から与えられた試練を忍耐して、その先に恵みや喜びがあると信じて行動したいものだ。
大量の難民を受け入れるという人道的判断をしたメルケル首相の行動の基盤に、キリスト教の信仰があることが理解できる資料である。
出生前診断や安楽死などの生命倫理の問題について、聖書を引用しながら考えているということも、キリスト者にとって参考となる姿勢だ。
新教出版の紹介サイトは次のリンク。
www.shinkyo-pb.com/2018/08/24/post-1309.php
キリスト教メディアのクリスチャンプレスでの紹介記事は次のリンク。
www.christianpress.jp/daran-glaube-ich-christliche-standpunkte-angela-merkel/
また、ドイツ語原著の発行元の紹介サイトは次のリンク。
www.st-benno.de/shop/angela-merkel-daran-glaube-ich.html
ドイツ語原著はまだ購入していなかったので、アマゾンで注文しておいた。
今回発行された和訳は、紀伊國屋書店で注文して、本日午前中に自宅に届いた。
今日は教会で聖書研究会・祈祷会があったので、その移動中に電車内で4分の1ほど読んだ。
まず初めに、「V 難民危機とその結果」 から、「人々の連帯と開かれた社会とは矛盾しない」 を読んだ。
連帯ということでシリア難民の話があり、「ドイツは法治国家です。法治国家は助けを必要とする人に援助を提供します。… 現在のドイツは、多くの人たちが逃げてきたいと思う国になっています。ここには秩序があり、法と人間の尊厳が保証されています。」とあり、誰かに聞かせたい言葉だ。
また、国内の「異なる世代間の連帯」にも話が及び、そして最後に強調しているのは「宗教の授業の重要性」である。
「なぜなら宗教の授業では、良心の問題、心の教育が大切になるからです。宗教はわたしたち自身の人生に関わるだけでなく、それ以上に、…神の被造物としてのわたしたちの人生の大きな関連性を扱うからです。」
キリスト教徒の割合が減少しているドイツでは、宗教の授業を倫理に変えようとする動きもあるが、難民支援やボランティア活動など、外に開かれた社会における人々の連帯を強めるために、キリスト教の教育は役立つであろう。
そして最初に戻って読んでいたところ、「I 信仰と告白」 の 「わたしの人生の規範」 で引用された、ミカ書第6章第8節の聖句が印象に残った。
その部分を新共同訳から引用しよう。
人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。
この部分は、「神を愛し、隣人を愛すること」 を別の表現で伝えているものだ。
このように明確に提示されているものの、不完全な罪深い私たちには、実践することは困難である。
それでも、その課題にチャレンジし、神から与えられた試練を忍耐して、その先に恵みや喜びがあると信じて行動したいものだ。
