COVID-19対策は朝令暮改で構わない
今回は科学者として、批判覚悟で私見を述べたい。
COVID-19対策は朝令暮改で構わないということだ。
対策や指示がコロコロ変わると、対応する方は混乱するし、どの情報を信じてよいのかわからなくなるかもしれない。
それでも、新事実が判明した時点で、一番可能性がある仮説に基づく対策に切り替えるという、対応力が求められる。
もし批判するならば、「以前はこう言っていたではないか」という矛盾点についてではなく、「新事実がわかったのに、まだ以前の知見に基づいた対策を続けるのか」という動きの鈍さについて、苦言を呈してほしいものだ。
自宅で待機・療養中に容体が急変する事例が増えるにつれて、「37.5度以上の発熱がおおむね4日以上」というPCR検査を受ける基準が間違っているという意見が増えているようだ。
そのような批判に対して、政府が任命した専門家の中には、「医師が必要と判断すればPCR検査を受けられるようになっている」、「絶対4日待てとは言っていない」などと、無責任だと言われそうな発言をする人もいる。
これは専門家側の発信の問題と同時に、受け手である一般の人々の側の理解の問題もある。
専門家は、自分が持っているデータの解釈について、一般の人々も同じレベルで理解すると勘違いして説明している。
一般の人々の側も、科学的知見は不変だと勘違いしているのか、前提となる状況が変わっているのに、「前と言っていることが違うじゃないか」などと不信感をあらわにする。
データに基づいた科学的議論をと言っても、科学は仮説を検証する作業なので、当初の仮説が現実のデータと合わないとわかったら、別の仮説を提示するのが当然のことだ。
そのため、初期の仮説をすでに捨てて、新しい知見に基づいた方針を発表しているのに、その違いをはっきり言わないため、あるいは、言わなくてもわかるだろうという姿勢のため、結局のところ、一般の人々に真意が伝わらない。
COVID-19 の症例報告が少ない時点では、従来の風邪症状と区別するには、仮説として、発熱日数の基準を設けることも考えられただろう。
ただし、発熱から2日くらいで一度平熱に戻った後、再び高熱となって悪化する症例がわかった時点で、最初の仮説を捨てて、発熱者はすべてPCR検査するという新たな方針に切り替えてもよかった。
その新しい方針に変えたならば、以前の指示はすべて破棄して、関係者の意識も完全に変えなければならなかった。
しかし、伝達方法が間違っていたのか、以前の指示が残ったままで、中途半端な対応が続いている。
政府が任命した専門家の話を直接聞いても、医学の専門教育を受けていない私たちには理解できないことも多い。
したがって、一般への説明が得意な研究者に広報も委ねるか、サイエンスコミュニケーターと呼ばれる人が間に入って説明した方がよい。
専門家が、「人との接触を8割削減」と言っていたのに、博士号を持っていない安倍首相は、深刻さを理解できなかったのか、それとも経済対策が気になったのか、あるいは、こうあってほしいという願望が邪魔したのか、「最低7割、極力8割」という自己流解釈をしてしまった。
大型連休を前にして「7割」を言わなくなったが、すでに「7割でもかまわない」と誤解した人々の行動を変えることは困難だ。
ドイツでは(また出羽守と言われそうだが)、物理で博士号を持つメルケル首相が、最新の科学的知見に基づいた対策をわかりやすく説明し、そしてキリスト者としての信仰から、人々の連帯を強めようとメッセージを出している。
ドイツでは、中国からの帰国者に気を付ければいいと思っていた段階から、最悪の事態を想定して準備していた。
大流行を抑え込むことはできなかったものの、検査体制と病床数が確保されていたこともあって、死亡率を低く抑えている。
準備していたからすぐに行動できたとも言えるが、状況が急変したときに外出禁止措置など大胆な対策を迷うことなく発動できる、その臨機応変な対応力が評価されている。
日本ではなぜか、最初に行った対策や仮説の維持にこだわり、状況が一変しているのにもかかわらず、その状況変化すらなかなか認めようとしないことが多い。
そして一貫性の方を重んじるのか、影響を受ける分野の反対を気にするのか、新たな対策を打ち出すことをためらってしまうようだ。
迷っている間に、状況は刻々と悪化を続けて、決断できなかったために被害がさらに拡大してしまう。
朝令暮改という批判を恐れずに、新しい事実がわかった時点で、全く逆の対策になったとしても、すぐに対応すべきだ。
やりすぎだと言われようが、死者が増えるなど縁起でもないと言われようが、最悪の事態に対処するためと言い張ればよい。
説明を聞く人々も、専門家が以前とは全く違うことを言い出したとしても、その矛盾点を批判するのではなく、状況が変わって仮説も新しくなったと理解して、情報を完全上書きして更新してほしい。
COVID-19対策は朝令暮改で構わないということだ。
対策や指示がコロコロ変わると、対応する方は混乱するし、どの情報を信じてよいのかわからなくなるかもしれない。
それでも、新事実が判明した時点で、一番可能性がある仮説に基づく対策に切り替えるという、対応力が求められる。
もし批判するならば、「以前はこう言っていたではないか」という矛盾点についてではなく、「新事実がわかったのに、まだ以前の知見に基づいた対策を続けるのか」という動きの鈍さについて、苦言を呈してほしいものだ。
自宅で待機・療養中に容体が急変する事例が増えるにつれて、「37.5度以上の発熱がおおむね4日以上」というPCR検査を受ける基準が間違っているという意見が増えているようだ。
そのような批判に対して、政府が任命した専門家の中には、「医師が必要と判断すればPCR検査を受けられるようになっている」、「絶対4日待てとは言っていない」などと、無責任だと言われそうな発言をする人もいる。
これは専門家側の発信の問題と同時に、受け手である一般の人々の側の理解の問題もある。
専門家は、自分が持っているデータの解釈について、一般の人々も同じレベルで理解すると勘違いして説明している。
一般の人々の側も、科学的知見は不変だと勘違いしているのか、前提となる状況が変わっているのに、「前と言っていることが違うじゃないか」などと不信感をあらわにする。
データに基づいた科学的議論をと言っても、科学は仮説を検証する作業なので、当初の仮説が現実のデータと合わないとわかったら、別の仮説を提示するのが当然のことだ。
そのため、初期の仮説をすでに捨てて、新しい知見に基づいた方針を発表しているのに、その違いをはっきり言わないため、あるいは、言わなくてもわかるだろうという姿勢のため、結局のところ、一般の人々に真意が伝わらない。
COVID-19 の症例報告が少ない時点では、従来の風邪症状と区別するには、仮説として、発熱日数の基準を設けることも考えられただろう。
ただし、発熱から2日くらいで一度平熱に戻った後、再び高熱となって悪化する症例がわかった時点で、最初の仮説を捨てて、発熱者はすべてPCR検査するという新たな方針に切り替えてもよかった。
その新しい方針に変えたならば、以前の指示はすべて破棄して、関係者の意識も完全に変えなければならなかった。
しかし、伝達方法が間違っていたのか、以前の指示が残ったままで、中途半端な対応が続いている。
政府が任命した専門家の話を直接聞いても、医学の専門教育を受けていない私たちには理解できないことも多い。
したがって、一般への説明が得意な研究者に広報も委ねるか、サイエンスコミュニケーターと呼ばれる人が間に入って説明した方がよい。
専門家が、「人との接触を8割削減」と言っていたのに、博士号を持っていない安倍首相は、深刻さを理解できなかったのか、それとも経済対策が気になったのか、あるいは、こうあってほしいという願望が邪魔したのか、「最低7割、極力8割」という自己流解釈をしてしまった。
大型連休を前にして「7割」を言わなくなったが、すでに「7割でもかまわない」と誤解した人々の行動を変えることは困難だ。
ドイツでは(また出羽守と言われそうだが)、物理で博士号を持つメルケル首相が、最新の科学的知見に基づいた対策をわかりやすく説明し、そしてキリスト者としての信仰から、人々の連帯を強めようとメッセージを出している。
ドイツでは、中国からの帰国者に気を付ければいいと思っていた段階から、最悪の事態を想定して準備していた。
大流行を抑え込むことはできなかったものの、検査体制と病床数が確保されていたこともあって、死亡率を低く抑えている。
準備していたからすぐに行動できたとも言えるが、状況が急変したときに外出禁止措置など大胆な対策を迷うことなく発動できる、その臨機応変な対応力が評価されている。
日本ではなぜか、最初に行った対策や仮説の維持にこだわり、状況が一変しているのにもかかわらず、その状況変化すらなかなか認めようとしないことが多い。
そして一貫性の方を重んじるのか、影響を受ける分野の反対を気にするのか、新たな対策を打ち出すことをためらってしまうようだ。
迷っている間に、状況は刻々と悪化を続けて、決断できなかったために被害がさらに拡大してしまう。
朝令暮改という批判を恐れずに、新しい事実がわかった時点で、全く逆の対策になったとしても、すぐに対応すべきだ。
やりすぎだと言われようが、死者が増えるなど縁起でもないと言われようが、最悪の事態に対処するためと言い張ればよい。
説明を聞く人々も、専門家が以前とは全く違うことを言い出したとしても、その矛盾点を批判するのではなく、状況が変わって仮説も新しくなったと理解して、情報を完全上書きして更新してほしい。