17年前の講演会の記録を調べてもらった
教会を訪れるきっかけは人それぞれだ。
私の場合、ドイツの報道でカトリック教会での児童虐待などを知り、教会の牧師ならば、「神に仕える者が罪を犯すのはなぜですか」という疑問に答えてくれると思ったから。
その後、何度も通うようになり、洗礼まで受けたのは、教会に居場所があると感じたから。
障碍者の姉を持つ私は、周囲が敵ばかりだと感じて生きてきたが、ようやく苦しみを理解してくれる人たちに出会ったと感じた。
先月初めて教会を訪れた方は、大学で哲学を専攻した方で、ある神学者に関する研究分野の調査をしていたら、私の教会の牧師にたどり着いたという。
神学博士でもある牧師は、長期テーマとしてラテン教父の研究を続けており、学会でも発表しているので、直接話をしたかったそうだ。
ということで、毎日曜日の朝礼拝の前に20分ほど時間をとって、その方が研究していたテーマに関係する聖書箇所を紹介しながら、牧師が解説している。
また、今月になって訪れた方は、礼拝出席は初めてだが、以前行われた講演会に参加したことがあるという。
講演者はカトリックのシスター渡辺和子さんだ。
私の記憶にないので、2010年よりも前に行われた講演会ではないかと思う。
教会の年表で講演会や研修会の記録を調べたがなかったので、教会主催のものではなさそうだ。
ということで、あるベテランの教会員の方に、日本基督教団東京教区の行事として、渡辺和子さんの講演会があったかどうかをメールで問い合わせた。
すると、同じく教会員のご家族の方が記録を残していて、2004年に西南支区伝道担当で行われたシスター渡辺和子さんの講演会では、私の教会を会場にしていたそうだ。
17年前の講演会が今月の礼拝出席に直接つながったのかどうかはわからないが、礼拝以外の教会の活動がきっかけとなる可能性があることを教えてくれる。
私の教会では以前は、土曜講座で文芸評論などを行っており、その参加者の中から日曜日の礼拝に出席する人も増えた。
聖書の話をダイレクトにする伝道もあるが、急がば回れで、教会に入る敷居を下げることも大切だ。
今は人員不足で土曜講座はできないかもしれないが、コロナ禍でなければ、土曜日にお茶会や絵本の読み聞かせ会を開いたり、フードバンクのボランティアに会場を提供してもよい。
教会のカラーというものがあるので、役員会の承認も必要で、なんでもかんでもできるわけではないが、あらゆる人を招く多様性のある教会でありたいと思う。
私の場合、ドイツの報道でカトリック教会での児童虐待などを知り、教会の牧師ならば、「神に仕える者が罪を犯すのはなぜですか」という疑問に答えてくれると思ったから。
その後、何度も通うようになり、洗礼まで受けたのは、教会に居場所があると感じたから。
障碍者の姉を持つ私は、周囲が敵ばかりだと感じて生きてきたが、ようやく苦しみを理解してくれる人たちに出会ったと感じた。
先月初めて教会を訪れた方は、大学で哲学を専攻した方で、ある神学者に関する研究分野の調査をしていたら、私の教会の牧師にたどり着いたという。
神学博士でもある牧師は、長期テーマとしてラテン教父の研究を続けており、学会でも発表しているので、直接話をしたかったそうだ。
ということで、毎日曜日の朝礼拝の前に20分ほど時間をとって、その方が研究していたテーマに関係する聖書箇所を紹介しながら、牧師が解説している。
また、今月になって訪れた方は、礼拝出席は初めてだが、以前行われた講演会に参加したことがあるという。
講演者はカトリックのシスター渡辺和子さんだ。
私の記憶にないので、2010年よりも前に行われた講演会ではないかと思う。
教会の年表で講演会や研修会の記録を調べたがなかったので、教会主催のものではなさそうだ。
ということで、あるベテランの教会員の方に、日本基督教団東京教区の行事として、渡辺和子さんの講演会があったかどうかをメールで問い合わせた。
すると、同じく教会員のご家族の方が記録を残していて、2004年に西南支区伝道担当で行われたシスター渡辺和子さんの講演会では、私の教会を会場にしていたそうだ。
17年前の講演会が今月の礼拝出席に直接つながったのかどうかはわからないが、礼拝以外の教会の活動がきっかけとなる可能性があることを教えてくれる。
私の教会では以前は、土曜講座で文芸評論などを行っており、その参加者の中から日曜日の礼拝に出席する人も増えた。
聖書の話をダイレクトにする伝道もあるが、急がば回れで、教会に入る敷居を下げることも大切だ。
今は人員不足で土曜講座はできないかもしれないが、コロナ禍でなければ、土曜日にお茶会や絵本の読み聞かせ会を開いたり、フードバンクのボランティアに会場を提供してもよい。
教会のカラーというものがあるので、役員会の承認も必要で、なんでもかんでもできるわけではないが、あらゆる人を招く多様性のある教会でありたいと思う。